2022/09/29(木): 単語から感情が無くなるのは何時だろう
今日のくらし
運動した後は、ちょっと、くらい炭水化物を食べてもいいんじゃない?
と、いう気持ちから、ジムでランニングをした後にはついつい、オリーブの丘に向かって、パスタを食べてしまう。
運動した後の、パスタとか炭水化物はどうしてこんなに美味しいのだろうか。
体が求めているとしか思えない。
今日の妄想
自分も凄い気持ちが分かるが、そもそも、人の言葉に、自分の感情だとか、状態などを推察されるのが嫌なのではないのかという事である。
そして、その元として、言葉に感情や意味が載せられていると勝手に考えてしまっているのではないかと思う。
つまり、この言葉から勝手に感情を受け取ってしまっているのが問題である。
しかし、感情や意味を全く受け取らない言葉という物も存在する。
例えば、「こんにちは」という言葉は、「今日は天気が良いですね」だとか「今日のご機嫌はいかがですか?」といった言葉の今日が抜き取られた、近畿関東の方言における形式的に挨拶に使われる言葉ではある。
だた、「こんにちは」という言葉は挨拶という形式に使われすぎて、「今日」という言葉の意味が受け取られる事はほぼない。
つまり、言葉の本来の意味が消え去り、ある種、言葉が記号化されているのである。
これと逆に元々、記号として認識しているため、感情を受け取れない事もある。
例えば、自分は英語は記号として認識してしまっているので、感情を受け取る事が出来ない。
「御不便をおかけして申し訳ありません」という言葉で、不便なんて思ってないし謝って欲しいわけでもないがなぁという気持ちがあるが、“Sorry for inconvenience”にはそれほど感情を感じない。
英語では、文章の意味を捉える事が出来るが、感情を受け取れていないので、そういう形式の定型文という、記号としてしか受け取ってないのである。
英語は記号として認識するしか無く、感情を感じられるほど英語力が自分に無いからだろう。
英語力がある人には、英語も正しく記号ではなく、単語から感情を受け取っているのだろう。
少し前に問題になった "master" "slave" 問題も記号としてではなく、感情を単語から受け取っているから発生しているのであろう。
どの程度、言語として一般的に元の意味を超えて使われるようになれば、単語としての意味や感情が消え去り、記号になるのであろう。
今日の喜怒哀楽
喜
怒
哀
楽
よゆふかしのうたのアニメを見始めたけど、めっちゃ良い
今日の健康
体調
ゆっくり寝れたので元気だった
他人よりも長時間の睡眠が必要なんだろうなぁ
ジム
トレッドミル 65分(8.5km)
今日のPodCast
他人に主張していない感情を推察されるの、嫌いなの、結構分かるなぁ
存在しない物を仮定されるのが苦手なんだろうなぁ
あと、個人的に使わないようにしてる言葉としては
技術力
って何だろう?
最適化
本当に最適か?という気持ちになる
リアルタイム
正しい意味が通じる事が少ない
などがある
ナビ