技術as宗教みたいな幸福の手段
自分の中の「技術」の位置付け、結構宗教に近そう
前提として、自分は未来の技術発展が起こること/それで世界が良くなることを信じていて、これは結構信仰に近いと思う
辛さを「技術で解決する課題」としたうえで近未来の技術に楽観的でいることで希望が生まれる
これ、結構宗教as幸福の手段に近いのかも
最後の審判で救われる、みたいなのと構造的に同じ
同時にそれを考えるプロセスの楽しさもあるけど
まあでもそれも希望へ近づいているという改善の良さもありそう
進歩主義
思想なのかも?