ノブレス・オブリージュ
なんか大衆の反逆とか読むといい気がするtkgshn.icon 人間を最も根本的に分類すれば、次の二つのタイプに分けることができる。
第一は、自らに多くを求め、進んで困難と義務を負わんとする人々であり、第二は、自分に対してなんらの特別な要求を持たない人々、生きるということが自分の既存の姿の瞬間的連続以外のなにものでもなく、したがって自己完成への努力をしない人々、つまり風のままに漂う浮標のような人々である。
根本的かは分からんが、まあ妥当な分け方blu3mo.icon
>わたしにとって、貴族とは、つねに自己を超克し、おのれの義務としおのれに対する要求として強く自覚しているものに向かって、既成の自己を超えていく態度を持っている勇敢な生の同義語でかる。
なるほど、まあまあ普遍性のありそうな定義blu3mo.icon
ところで社会には、その本質上特殊であり、したがってまた、特殊な才能がなければ立派に遂行しえないような極めて多種多様な業務や活動や機能がある。芸術や贅の分野のある種の楽しみとか行政上の機能や公共問題に関する政治的判断などがその例である。
これらを「貴族」がやらないと世界回らないよね、という主張?blu3mo.icon
20230401
いまだに腑に落ちない
色々な要素が曖昧で、主張の立ち位置が分からない
(多分自分の理解がないだけ)
多分前より上手くもやもやを説明できるので、書く
疑問1: これはどういう立ち位置の主張?
義務を果たさない人は「ノブレス」で居続けられない
なので逆説的に、「ノブレス」でい続ける人は義務を果たしている、みたいな
規範/倫理の主張?
この場合、前提として何かしらの「良い行為」の規範の定義があって、その上で「ノブレス」な人たちはそれを多くやるべき、みたいな主張になるのかな
ちょっとメタ的blu3mo.icon
規範の主張であれば、どんな理由が信じられる?
疑問2: どんな人が「ノブレス」であると言える?
何かしらの不平等な「人のランク」の尺度があるのだとは思う
が、なんかそれを勝手に言い張って「自分たちはノブレスである」と言うの、抵抗がある
これは感情blu3mo.icon
エリート主義とは何か違う点があるのかな
機会の不平等の話なのか、結果の不平等の話なのか
202207
よく理解出来ていないblu3mo.icon
自分の中の解釈が二つある
これは、「ノブレス」の行動についての倫理/規範的主張? こっちでずっと捉えていたrickshinmi.iconkaya.icon
もしくは、義務を果たさないと「ノブレス」で居続けられないという事実の説明?
社会契約論的な(義務を果たさないと革命される、みたいな) こっちの考えなかったtkgshn.icon*2
どっちなのだろうblu3mo.icon