Pomodoro入門
Pomodoro、やり方自体は一瞬で理解できる
それ自体にもそれなりの効果を感じているblu3mo.icon
ただ、どうやらこの世にはポモドロに関して本を書いている人がいるらしい
提案者の本とか
そんなに書くことがあるなら、読んでみたら役に立つことがあるかも
アジャイルな時間管理術 ポモドーロテクニック入門 | Staffan Noeteberg, 渋川 よしき, 渋川 あき |本 | 通販 | Amazon
Amazon.co.jp: どんな仕事も「25分+5分」で結果が出る ポモドーロ・テクニック入門 eBook : フランチェスコ・シリロ: 本
提案者の本
「生成」的な時間概念 vs 事象の連続としての時間概念
生成的という言葉はよくわからんが、計測可能な時間軸/次元としての時間概念のことらしい
時間の経過に対して自分自身を計ろうとすれば、私たちは自分の不完全さを感じ、抑圧され捕らわれているという思いにさせられ、1秒また1秒と進むごとに敗北感を味わわされることになる。  そして、生の躍動(élan vital)──物事を成し遂げることを可能にする力──を失ってしまう。「2時間過ぎたのにまだ終わっていない」「2日経ったのにまだ終わっていない」というように。自分の弱さを思い知らされ、自分は何のためにこれをやっているのかという状態になってしまう。
それに比べて「事象の連続」のほうは不安をもたらしにくいように思える。むしろ一定の事象の連続、つまり落ち着きを生むリズムを意味する場合もある。
ふわっとしたことを言っているが、まあ感覚としては納得がいく
「何分後までにXXをやる」とか考えるとストレスが生まれるけど、やったこと/やることを管理しているだけならあまりない
Google Calendar全登録Todo管理やtimeboxingとはここが異なるのね
Google Calendar全登録Todo管理で感じていた窮屈さはこれだと思うblu3mo.icon
内的/外的な中断から25分間のPomodoroを守ることが目的
中断されそうになった時に、それを自覚した上で断ち切ろうとする
断ち切ってPomodoroに戻る時に、表にコンマを付ける
記録していくことで、内的/外的中断の減らし方について考えられる
断ち切れなかったら、そのPomodoroは中断
ルール:Pomodoroは分割できない
中断することの代償を大きくしているのねblu3mo.icon
Pomodoroを何個こなしたか、という単位で各日の進捗を測れる
「何分働いたか」ではなくPomodoroを評価の単位にするメリット
中断せずにPomodoroを終わらせるモチベになるblu3mo.icon
1日に自分が何Pomodoroできるのか = どのくらい集中して働けるのか を把握したい
理論上は8時間働けば16Pomodoroできるが、多分実際はもっと低い
その低さを受け入れるためにも計測してみたい
作業量の見立てもPomodoro単位でやる
これは何Pomodoroで終わるだろう、と
予定Pomodoro数では足りなかった場合は、足りなかったことも記録する
イシューからはじめよで言われているようなイシューをPomodoroの最小単位とマッチさせるのはありかも?
「この時間からこの時間まではPomodoroで作業する」という高レベルでの生成的時間の制約をつけるのがちょうど良さそう
逆にそれ以外は第二領域的な時間の使い方をしようと思える
全体的な感想
一貫したシステムのもとで作業しつつ、さまざまなことを記録することで、自分の作業状態の振り返りと改善を可能にしている
「観察とフィードバック」
このような作業を毎日続けて自分自身の傾向をつかみ、それに合わせて開始時刻の繰り上げ/繰り下げやセットの増減をすることで、スケジュールを修正できるようになる。