2025/0717 エマニュエル・サエズ/ガブリエル・ズックマン『つくられた格差』(光文社, 2020)
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1. 基本的人権を守るための社会制度
非常に過激な内容の本だと思う。税金を一銭でも払いたくない富裕層、あるいはアメリカの現政権にはとりわけそうだろう。しかし、庶民にっては社会を安定に導くバイブルのような本だ。その本書には重要な前提条件がある。
一般的に、政府は医療や教育の費用をまかない、退職後の生活を支援すべきだと考えられているのはなぜなのか?  それは、十分な生活水準を手に入れることが基本的人権の一つと認識されているからだ。実際、教育や医療、高齢者への所得支援がなければ、十分な生活水準を手に入れる権利を実現することはできない。(p.272)
つまり本書は、社会制度を基本的人権を実現する仕組みとして位置づけている。自由や平等は降って湧くものではなく、社会制度を通じて得られるという考え方だ。その社会制度を費用で支えるのが税である。それでは、どのような税制であれば、教育や医療、高齢者への所得支援が健全に機能するのだろうか?
後述のように、本書にはその具体的な回答例が示されている。興味深いことにその答えに至る過程は、時代をさかのぼり原点に帰るようなところがある。そうなるのは、税制の歴史がサエズとズックマン(以降、「著者ら」もしくは「ピケティら」と略記)が示した先述の理念から離反していく流れにあるからだ。従って、現在のアメリカの税制は、基本的人権を支える制度から最も遠い場所にある。
そのことを象徴する最新の事例が、トランプ大統領が2025年7月4日に署名した大型減税法案だろう。トランプ氏はその法案を「大きくて美しい一つの法案」と呼んでいる。彼は本気でそう思っているようだが、多くの市民からすれば節度を欠いた冗談にしか思えないはずだ。
しかし、実態はといえば、トランプ氏を支持する中間層の多くが減税法案を歓迎している。中間層には少しの恩恵があると見られているからだ。だが、富裕層への恩恵はもっと大きい。さらに、移民などのマイノリティーは大幅に所得が減る。$ ^{1)} 格差拡大を大統領が主導し、支持者が歓迎するねじれはまさに、税制が基本的人権と切り離されている実態の現れだろう。
2. 急激に所得格差が拡大したアメリカ
なぜアメリカの税制は、本来の理念から離反するようになったのだろうか。まずは本書に沿ってその経緯を整理しておきたい。本書の冒頭で著者らは、アメリカの所得格差の現状を次のように述べている。
アメリカ社会を分断する断層線は、上位1%と下位99%との間にある。世界中を見ても、高所得民主主義国のなかで、アメリカほど格差が拡大している国はない。これほど急激な富の変化を経験た国は、先進国のなかでもアメリカぐらいしかない。(p.29の趣旨)
この実態が2011年にウォール街で広まった、「われわれは99%だ」というスローガンの登場をもたらした。しかし、ここでピケティらが強調しているのはそのことではない。それよりもむしろ、アメリカが突出してそうであり、そのアメリカも1980年代には真逆だったという歴史的事実の方だ。
下の図にあるように、1980年には上位1%の所得は国民所得の約10%を占めていた。それがいまでは約20%に倍増した。一方、下位50%の所得は正反対の動きを示し、約20%から約12%に減少した。この急激な変化が「われわれは99%だ」というスローガンを生んだ。しかし、40年前なら人々はそれとは逆に「われわれは90%だ」と堂々と言えただろう。上位1%が10%なら、残りは90%になる。それは多くの人々の誇りだったはずだ。
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3. 高額所得者に90%の税が課せられた時代
従って、ここでの問いもまたスローガンと同様に逆になる。「われわれは99%だ」が生まれた理由ではなく、40年前「われわれは90%だ」言い得たのはなぜなのかと。これについて著者らは、1930年代から1970年代までは富の集中が劇的に抑制されいてたとし、そのひとつがルーズベルト大統領が1942年に議会に送った下記の教書に現れているという。
低所得者と超高所得者との差を縮めなければならない。あらゆる過剰所得を戦争勝利に振り向けるべき重大な国難の時代には、アメリカのいかなる市民も、年間25,000ドル以上の税引後所得を持つべきではない。
(p.69, ルーズベルト大統領による1942年の教書からの引用)
25,000ドルを上限に所得制限を設けるというものだが、これを所得税に言い換えれば、25,000ドル以上の所得に100%の税率を課すことに等しい。25,000ドルは現在の100万ドル以上に相当するそうだ。しかし、教書は大統領が議会に示す文書なので法的な強制力はなく、実際の税率は90%で決着したという。
この最大90%の所得税はその後徐々に下がって行くが、それでも1980年代には個人所得に約70%の税率が適用されていた。これが先の「われわれは90%だ」に結び付く。ルーズベルトはこれほどの高い税率が必要なのは「戦争勝利に振り向けるべき重大な国難の時代」だからと述べているが、他にも理由があったという。
二つの理由により租税回避が抑制されていた。第一に、個人所得税について前述したように、フランクリン・ルーズベルトやその後継者たちが、租税回避を恥と思わせ、倫理観に訴えるなど、積極的な徴税戦略を採用して企業の租税回避を制限した。(p.114)
当時のアメリカ大統領は納税を、稼いだ者の当然の義務と考え、積極的な徴税戦略を取っていたことがわかる。その考え方は1970年代の終わり、カーター大統領の時代まで引き継がれた。
だが2025年の現在、トランプ大統領の大型減税法案では、連邦法人税率を35%から21%に、所得税の最高税率を39.6%から37%に引き下げるとしている。$ ^{2)} 税制規律が説かれた時代の半分にも満たない。まったく信じがたい話だ。
私達は歴史的な事実として、アメリカはかつて高額所得者に90%の税率を課していたことを思い出す必要がある。40年以上を隔てた両者のギャップは、税率の高低がいかに為政者の考えに強く依存しているかをあらためて浮き彫りにしている。
4. 所得税の急激な減税のはじまり
それでは、大統領が納税倫理を訴えた時代はどこで減税に転じたのだろうか。端的に言えば、1981年にドナルド・レーガンが大統領に就任して以降ということになる。それまで高額所得者に対し最大70%(1960年前後は90%)だった税率は、レーガン政権のもとで段階的かつ急激に引き下げられ、1986年の税制改革法で最高税率28%にまで低下した。この税制改革法は賛成97、反対3で可決されたという。「テッド・ケネディ、アル・ゴア、ジョン・ケリー、ジョー・バイデンといった民主党の議員もみな、心から賛成票を投じた」とある。
なぜ、富裕層にたいするこれほどあからさまな優遇税制が圧倒的な支持を得たかについて、著者らは、共和党の関連団体が主張した「小さな政府」の考えが政治思想として広く浸透していたこと以外に、議員にはそうするしか選択肢がなかったからだとしている。選択肢がないとはどういうことだろうか?
当時、すでに所得税の租税回避が横行しており、政府としては税率を下げれば租税回避が減り税収が戻ると期待するしかなかった、というのがその理由だ。レーガン大統領は「小さな政府」と「大幅減税」を政策に掲げていた。その政策が支持された背景には、経営者や資産家の「もっと納税を減らしたい」意識と、政府関係者側の租税回避を鎮めることで「税収を増やしたい」とする相反する意識があったことになる。それほどに租税回避が広まっていたのはなぜなのか、それについて著者らは次のように述べている。
(このような事態に至る)パターンがあることがわかる。まずは租税回避が爆発的に増え、次いで政府が富裕層への課税は無理だとあきらめ、その税率を引き下げるのである。この負のスパイラルを理解することが、税制の歴史を理解し、将来的に公平な税制を構築していくための鍵となる。(p.85)
民主党の議員のなかには、税率を引き下げる法案に「あきらめ」から賛成した人もいたのだろう。著者らがいうようにこれがお決まりのパターンなら、トランプ大統領の「大きくて美しい一つの法案」にもおなじ投票行動が含まれていることになる。
となると、次に持ち上がるのは、このパターンが何から生まれ、なぜ政府はそれを止められなかったのだろうかという問いだ。
5. 租税回避を招く根本原因
著者らはこの疑問について、1930年代にルーズベルト大統領が取った徴税戦略にさかのぼり、当時の状況を説明している。それは概略次のようなものだ。
ーールーズベルト大統領の時代に抜け穴がなかったわけではない。ニューディール政策(1933年〜1939年)で打ち出した、キャピタルゲインに対する優遇税率がそれである。アメリカの所得税の最高限界税率は90%を超えるときもあったが、キャピタルゲインの税率はわずか25%でしかなかった。これが多くの富裕層に労働よりも資産で稼ぐインセンティブを与え、これが租税回避につながる危険性があった。
しかし、ルーズベルトはそれを許さなかった。例えば、租税回避にはこのような手口があると8つの方法を挙げ、「ただちにそれらを違法にする必要がある」と述べたりもした。そして、租税回避は悪であり、過剰な富の集中は民主主義にとって有害だという考え方は、その後数世代の大統領に引き継がれた。ーー
トップリーダーが納税規範を示し制度に信用を与え、抜け穴の拡大を防いだのである。
大きく事情が変わるのは、レーガン大統領の就任以降である。なぜレーガンが人気を集めたかは先述のとおりだが、ここで重要なことは、ルーズベルトの時代からあった優遇税制がレーガン支持を引き寄せたことにある。租税回避に向かうインセンティブがすでにできていたからだ。このインセンティブはトップリーダーが倫理観を持ち税規範を示すうちは拡大しない。
しかし、インセンティブが続く限り、税制規律の喪失は一気に租税回避の抜け穴を広げる。つまり、「租税回避を招く根本原因」は倫理観や規範以前に、富裕層に租税回避のインセンティブを与える優遇税制があったことだ。これが問題の発端を作った。この点で、税制規範の重要性を説いたルーズベルト大統領自身が、実は租税回避拡大の種を巻いたというのが私の理解だ。
6. 脱税と租税回避で節制する富裕層
ところで、所得税の租税回避となると、どうしても富裕層に目が向き勝ちだ。しかし、労働者層や中流層も脱税をする。アメリカでは一般に、「貧困層は脱税し、富裕層は租税回避する」と言われるそうだ。ピケティらはこの通説が正しいかどうかを検証している。結果が下の図に示されている。
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この図には注意が必要だ。これはあくまで「脱税」の「割合」であって、脱税と認定されなかった租税回避は含まれていないからだ。従って、富裕層で脱税の割合が多いことを示すこの図は、通説を否定する結果になっている。図の右側の増加分は、租税回避しきれず違法な脱税に至った割合と考えられるからだ。つまり、富裕層は完全には租税回避をしていない。脱税もしている。
さらに、2018年の脱税ラインの内訳を示す下記の図も示されている。
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この図を見ると、富裕層ほど所得税や法人税の脱税が増え、低所得層ほど消費税を脱税する割合が増えている。しかし、ここでも重要なことは、この図が「非合法と認定された」脱税の「割合」であることだろう。
このように見てくると、1973年から2018年にかけて富裕層で脱税の割合が大幅に増えたのは氷山の一角であって、莫大な金額の租税回避が生まれたことで、そのごく一部が「漏れ」となって記録されたのが2018年の脱税の増加分、という理解が成り立つ。あくまで私の解釈だが、租税回避産業にお金を払い合法的な納税免れを依頼できる富裕層が、自分の手で非合法な脱税に時間を割いているとは考えにくい。
富裕層になるほど所得や資産の絶対額が増える現実を考えると、実際に富裕層から徴収しそこなった租税は莫大な金額になるだろう。結局のところ、「貧困層は脱税しかできず、富裕層は脱税と租税回避で税を逃れている。」これが本書から得た私の理解だ。
7. 40年間で格差が拡大した経緯の整理
以上、本書の記述をたどりながら、アメリカにおいて、基本的人権を支えるはずの税制がどのようにして格差拡大を支える制度になったかを見てきた。その歴史的経緯を整理すると次のようになるだろう。
① かつてアメリカは所得税の最高税率が90%に達していた。
② 大統領が示した納税規律が高い税率を可能にした。
③ しかし、①と②の時代にも富裕層に対する優遇税制があった。
④ 優遇税制が富裕層に租税回避のインセンティブを与えた。
⑤ 税制規律のない大統領の登場で租税回避が加速した。
⑥ 約40年間で富裕層と低所得層の税率は逆転した。
⑦ こうして「われわれは99%だ」のスローガンが生まれた。
この格差拡大の流れは、現在のトランプ政権による「大きくて美しい一つの法案」でさらに加速している。この流れがいまも続く決定要因はなにかといえば、年々拡大する富裕層に対する優遇税制の存在だろう。富裕層を制度で優遇することが、継続的な格差拡大につながっている。
それにしてもなぜ、税制規律を説いたルーズベルト自身がそのような制度の端緒を開いたのか、本書にはその詳しい説明はない。「ルーズベルトが撒いた種」というのはあくまで私が本書から読み取った理解だが、厳しい財政状況にあったことは確かだ。軍備拡大による財政需要と同時に、戦後を見据えたドル体制と資本移動の自由化にも対応する必要があった。そうした環境のもとでは富裕層の協力が不可欠だったのだろう。こうして、協力を引き出すための優遇税制が生まれた。
下の図は以上の流れの結末とも言える、2018年におけるアメリカの税制がいかに富裕層を優遇しているかを示したものだ。ここでは強制的に徴収される医療保険料を税と見做している。また、横軸の所得階層が通常の10分位と異なり、高位の10%が細分化されているため、その部分の面積が多く示されている点に注意が必要だ。
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とはいえ、人口に占める上位の富裕層0.001%(全体で約3300人)以上の超富裕層が税率でいかに優遇されているかがわかる。彼らに課せられる税率はアメリカの中間層より何割も少ない。なぜ、十分な医療も受けられない低所得者が、いくらでも高額医療を受けられる超富裕者よりも多くの税率を課せられなくてはならないのだろうか。これでは低所得層から超富裕層への所得移転が起きていると言われても仕方がない。
8. 格差解消をもたらす21世紀の社会制度
格差拡大のこの流れを止めるにはどうすればいいのか? 本書でピケティらが示している基本的な考えは、資産に対し課税するというものだ。これは格差解消に不可欠なことだからだが、それだけではない。富裕層の場合、多くの財産を保有しながら、課税対象となる所得が少ない。結果的に、富裕層の多額の資産は政府の資金需要に貢献していないからという事情もある。
この富裕税は、先の所得階層別の税率分布の図にある「法人税・財産税」の財産税とは異なる。現行の財産税は、土地・不動産などの固定資産が対象になっているのに対し、ピケティらが言う富裕税は、より包括的な不動産・株式・金融資産・企業持分・美術品などを含むものだ。
しかし、富裕税だけで問題が解決するわけではない。先の所得階層別の税率分布にも現れているように、個人所得税の逆進性も強い。このため「21世紀の税制」には、累進所得税・法人税・累進富裕税の三要素が必要だとしている。本書ではこれらを組み合わせ、最富裕層の実効税率を60%とした場合の具体例が示されている。
これらが実際に適用された場合の所得階層別の税率分布は次のようになる。富裕税を設けることで最富裕層に税の累進性が生まれ、低所得層との間にあった税の逆進性が解消に向かっているように見える。
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このような税制度による税収をもとにした場合、社会制度全体の予算がどのように支出とバランスするかの計算も示されている。下の「21世紀の社会制度の予算」がそれだ。表には売上税(日本で言う消費税)がないが、ピケティらは「現在労働者階級を苦しめている逆進的な売上税は廃止」としている。それに代わり、国民全体に所得に応じた6%の均等税が設けられており、これが最大の財源になっている。
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もし、日本でこのような税制が敷かれたらどうだろうか? 10%の消費税がなくなり、国民全体への所得に応じた6%の均等税なら、多くの人は歓迎するのではないだろうか。法人税率もいまとあまり変わらない。数十億円を上回る資産に課せられる2〜3.5%の税金に大きな反対はないように思える。ただ、配当・キャピタルゲインへの最高60%の課税には反対意見も多いだろう。
そして支出を見ると、医療においてほぼすべての国民に年間100〜120万円ほどの事実上の医療給付が行われ、教育においては育児から大学まで、公教育すべての無償化が可能になっている。これらが、売上税の税収損失を計上した上での社会サービスとして実現する計算だ。現在のアメリカの税制からすれば夢のような世界だろう。
国民所得に比例する6%の均等税と、富裕層への資産税とキャピタル課税への累進課税により、国民全体がこれほどの恩恵が受けられるのなら、実質的にも精神的にもアメリカを覆う格差は間違いなく解消に向かう。
これまで見てきたように、このような「21世紀の社会制度」が実現するかどうかは、ひとえに21世紀の大統領の租税意識にかかっている。その大統領に誰を選ぶかは、とりも直さずアメリカ国民全体、格差解消を願う市民一人一人の価値観と判断次第だ。それは、格差社会のさらなる暴走を許すか、あるいは未来のためにいま手を打つかを掛けた、まさに国民の選択なのである。
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1)URBAN INSTITUTE "Who Gains and Who Loses under a Tax Cut Extension with Medicaid and SNAP Spending Reductions" May 2025.
この資料に記載された下記の図は衝撃的だ。アメリカの人々はこの指摘を一体、どう考えているのだろうか。
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2)トランプ減税とは 法人税率21%に引き下げ - 日本経済新聞
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