2026/0607 岸善幸 監督『正欲』
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岸善幸 監督『正欲』を観ました。
不登校でYouTuberの小学生、セックスに関心がない同級生男女、男性から逃れたい女性。こうした人々が抱える、「明日死にたくない」と思う一般人との価値観のズレを通じて、多様性と同質性が共存する難しさが描かれていた。水フェチは、共有できない欲望の象徴だろう。
LGBTQと名指されることで多様性は一気に社会性をおびたが、少数者を隠し疎外する同質社会の圧力に大きな変化は起きなかった。そのことで偏見はむしろ、穏やかな理解の内側に巧妙に隠された。映画はその現実への二重の抗議を描いていたように思う。偏見はラベルの刷新だけでは変わらない。
ただ、夏月と佐々木が行うセックスの模擬行為や、女子大生の八重子が男性に示す恐怖心、明日死んでもいいという思いは、それが自然な意識や感情からのものでない限り、同質性の圧力が過剰なのと同様に、映画の描き方もまた過剰だと思った。互いに過剰である限り、不寛容の罠から逃れられない。
その点で、誤認拘束された佐々木の担当検事の寺井に夏月が、「いなくならないから」と佐々木への伝言を託す場面は、同質性への過剰な固執から妻子との離別に至った寺井への反逆であると同時に、境界を越えた信用が寛容の鍵であることを示していた。
夏月と佐々木をつなぐものが信用であるように、寺井の家族をつなぐのもまた信用のはずだった。そうであれば信用こそが、少数者と一般人をつなぐ鍵になる。そう信じる力こそが「正欲」の正体なのだろう。本当のことはわからない。しかし、信用する力を生きるのが人間だと思っている。
和解