Ⅱ
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翌朝の何という爽かな眼ざめ! ブヴァールはパイプに火を点け、ペキュシェは嗅煙草を吸いながら、こんな愉しい生活はまたとないと張りきった。そして、景色を眺めるために窓べによった。
正面は畑、右手には鐘楼を背景に一棟の納屋、そして左手には幔幕のようなポプラの並木。二本の小径が十字を描いて庭を四つに区切っている。野菜も花壇の中に混り、小さな糸杉や、紡錘形に整姿した果樹がその間に植えてある。片や葡萄園の高台まで延びている青葉の棚、片や樹墻を支えている壁、更にどんづまりは、四目垣をへだてて平地に臨んでいる。壁のむこうには果樹園、あかしでの彼方には雑木の木立、そして四目垣の外側には一本の細道。
彼等がこの全景に見惚れていると、黒の外套を纏った胡麻塩頭の男が、ステッキで四目垣の柵を引掻き引掻き、細道を通って行った。老婢が、この界隈で有名な医者のヴォコルベイユさんだと教えてくれた。
土地の名士という人々はこの他に、牛の飼育所で有名な元代議士のド・ファヴェルジュ伯、材木、壁土その他よろずのものを商売している村長のフーロー氏、公証人のマレスコ氏、ジュフロワ神父、それに利子で生活しているボルダン未亡人。老婢その人はドイツ人(ジェルメン)の亡夫にちなんで、ジェルメーヌと呼ばれている。日傭稼ぎをしているが、旦那がたのお世話を見てゆきたいという。彼等はその願いを容れてやる。その上で、一キロ離れた小作地へと出かけていった。
彼等が中庭に入ると、今しも、小作人のグイ爺さんは伜を怒鳴りつけ、婆さんは床几の上で、脚の間に押えつけた七面鳥に、肉団子を喰わせているところだった。額が狭く、鼻の細い、伏目がちな、肩の張った男である。女房は雀斑だらけの金髪女で、教会の玻璃絵に見る百姓女そのままの、素朴な様子をしていた。
台所には大麻の束が吊してある。三挺の古い猟銃が、高い暖炉の上に三段に懸けてある。花模様のファンザ陶器を並べた食器棚が壁の中央を占めて、罎のような色をした窓がらすが、ブリキや赤銅の道具類の上に淀んだ光を投げている。
パリの旦那がたはその所有地をたった一度、それもざっとしか見ていなかったので、ひと巡りしたかったのだ。グイ爺さんと女房が案内役に立って、さて、愚痴の百万陀羅がはじまった。あらゆる建物は車置場から火酒醸造小屋に至るまで修理を必要とする。チーズのためには別廉を建増し、圍には新しい鉄具を付けなおし、高塀を修復し、水溜を掘り、三つの中庭では林檎の樹をどっさり植替えなければなるまい。
つづいて耕地の見まわり。グイ爺さんは畑をこきおろした。だいいち肥料を喰いすぎる。運搬の費用がかさむ。小石は除けないし、牧場は雑草でいためられる。こうまでけち(・・)をつけられては、ブヴァールが自分の土地を足下に踏んで味わう醍醐味も、すっかり興を殺がれてしまった。
彼等は山毛欅の並木よりいちだん低い窪地を通って引返した。こちらから臨む邸宅は、前庭と建物の正面を見せている。
家は白地に黄色の化粧塗が施され、片や納屋と酒倉、片やパン焼室と薪小屋が、直角にいちだんと低い両翼をなしている。台所は小部屋に通じて、次が玄関、更にもっと大きな第二の部屋、それから客間。二階の四部屋は中庭に面する一本の廊下に並んで出入口を持っている。ペキュシェはその中の一つをコレクションのために占領して、いちばん奥の部屋を書斎にあてた。それに押入の中からは前住者所蔵の古本も出てきたが、彼等はその標題を読む興味もなかった。何よりの関心は庭に向けられていた。
あかしでの並木の傍を通っていたブヴァールが、木陰に石膏の女像を発見した。二本の指で裳裾をからげ、膝を折って、人から見られることを気遣うように、肩の上で頸をかしげている。
「いや! これは失礼! どうぞ御遠慮なく!」
この冗談がすっかり二人の気に入って、それからは三週間あまりも、日に何度となくこれを繰返していた。
そのうちシャヴィニョールのブルジョワどもが彼等の様子を知りたがって、四目垣から覗きに来た。そこで彼等はこの隙間を板で塞いでしまった。土地の人々は気を悪くした。
陽をよけるために、ブヴァールは頭をターバン式に白布で巻いた。ペキュシェは例の庇帽、そして胸にポケットのある大きな仕事衣を着た。ポケットは植木鋏、手拭、煙草入で脹らんでいる。二人は腕をまくりあげ、並んで畑を耕し、草を毟り、枝を刈込み、力仕事に骨身を惜しまず、食事は出来るだけ手早くすませた。ただコーヒーだけは、見晴しを愉しむために、葡萄園の高台で飲むことにした。
彼等は蝸牛を眼の仇にして、まるで胡桃でも割るように、口もとを顰めながら押潰す。外へ出るには移植鏝を離したことがなく、鉄具が地中に三寸もめり込むほどの力まかせで、黄金虫の幼虫を真二つにぶった切る。
毛虫を退治するためには、大きな竿で木々を忌々しげに叩きちらす。
ブヴァールは芝生の中央に一株の牡丹を植えた。それにトマト。これは葡萄棚のアーチの下で、シャンデリヤのように実をつけることだろう。
ペキュシェは台所の前に大きな穴を掘らせて、これを三つに仕切った。そこで配合肥料を造ろうというのだ。これがやがては、山ほどの実のりを生み、その滓がまた新たな収穫を見るとともに、別種な肥料の素となる、こんな調子が際限なく反復されるという段取りである。こうして彼は野菜の山、果実の洪水、草花の雪崩を未来に描きながら、溜のふちで空想を恣にしていた。しかし苗床に是非とも必要な馬糞がない。百姓は売ってくれないし、旅籠の亭主も譲ろうとは言わない。散々たずねあぐんだ末に、彼はブヴァールのたって止めるのをきかずに、恥も外聞も棄てて、《自ら馬糞拾いに歩く》覚悟をきめた。
ある日、彼が街頭でボルダン夫人につかまったのは、この作業最中のことだった。彼女は挨拶もそこそこに、友の様子を穿鑿しだした。この女の、小さなくせにいやに底光りのする黒眼、その横柄な言葉遣い、さては男まさりな態度に、(彼女は口髭さえちょっぴり生やしている。)ペキュシェはすっかり呑まれてしまった。彼は言葉すくなに返事をしただけで、くるっと背を向けてしまった。これをブヴァールは無作法なと咎めるのだ。
ところで、思いがけなく天気の悪い日がつづいて、雪とともに厳しい寒さ。彼等は台所に陣取って格子垣を編んだり、部屋から部屋へほっつきまわったり、炉ばたで世間話をしたり、降りしきる雨を眺めくらしたりした。
四旬節の中日というに、彼等はもう立つ春を待ちこがれ、朝ごとに「みんな萌えだすぞ!」と言いつづけていた。しかし季節の歩みが遅いので、いつとなく彼等は「いまに萌え出すぞ!」と言い改めて、はやる心を抑えていた。
とうとう豌豆が芽をふいた。アスパラガスがどっさり取れた。そして葡萄園にも希望が繋げた。
園芸が手際よくいったのだから、農耕だって巧くゆかないわけはあるまい。そこで農園を耕作しようという野心を抱いた。良識と研究とを以て臨めば、何とかやりこなせないことはあるまい。
それには先づ他所での運営状況を視察する必要がある。彼等はド・ファヴェルジュ氏に手紙を認めて、開墾地見学の光栄を担いたいと頼みこんだ。伯爵からはさっそく会見を承諾してきた。
徒歩で行くこと一時間、彼等はオルヌの渓谷を瞰下す丘の斜面に著いた。河は谷あいを延々と流れている。その間を赤い砂岩の塊りが、ところどころに立ちはだかり、眼路はるかには、更に巨大な岩石が、麦の穂波に蔽われた畑地に覆いかぶさる懸崖さながらに切立っている。向いの丘は人家が隠れるばかりに緑が深い。そして木々が青草の間に、ひときわ色濃い標識をつけながら、この緑を不揃いな方形に仕切っている。
所有地の全景が忽然と現れた。瓦屋根の家々は農園の所在を示している。白亜の館は木立を背景にして右手に聳え、芝生はポプラ並木の影を宿す河の方まで下っている。
二人の友は苜蓿(うまごやし)の乾してある中へ入っていった。麦藁帽をかぶったり、更紗織の姉さん被りをしたり、或は紙の眉庇をつけた女たちが、土のひろげた乾草を熊手で掻きおこしている。そして原っぱの向うの端では、堆たかい草塚のわきで、四頭立の長い荷馬車の上に、草束を景気よく抛りこんでいる。伯爵殿が管理人を従えて現れた。
綾織の服を着こなした身体つきは四角ばって、肋骨形の頬鬚をはやしたところは、司法官とも伊達者ともつかない様子。顔の表情は口をきく時でさえ動かなかった。
初対面の挨拶がすむと、伯爵は秣についての持論を披瀝した。刈草の列はちらかさないように掻きおこすこと。草塚は円錐形がよく、草束はその場で拵えて、十把ぐらいにずつ積みあげること。イギリス式の草寄せ器械なんかは、牧場の凸凹が激しいこのあたりでは問題にならない。
素足にぼろ靴をはいて、着物の破れ目から肌をのぞかせた一人の少女が、腰に支えた水差しで、林檎酒を女どもに注いでまわっている。伯爵がどこの娘かと訊ねたが何の要領も得ない。草乾し女等が刈入れの間、自分達の雑用をたさせるために拾ってきたのだという。伯爵は肩をすくめて遠ざかりつつ、この土地の風儀の悪さについて二言三言慨いていた。
ブヴァールは苜蓿を賛めちぎった。根なしかずらに荒らされた割には、事実かなりな出来だということ。未来の農学者たちは根なしかずらという言葉に心を留めた。家畜の数の多いことを考慮して、彼は人口牧場にも力を注いでいる。ただし、これは他の収穫物のためには立派な先達となってくれるが、さればといって、必ずしも秣に適する根ばかりを生ずるものとは言えない。
「これは少なくとも異論の余地がないようですな。」
ブヴァールとペキュシェが口をそろえて答えた。
「ははあ! 異論の余地がない。」
彼等は丹念に耕された畑のはずれに来た。手綱をとられた一頭の馬が、箱形の三輪車を挽いている。その底に取付けた七本の鋤が、平行に七つの細い畝を作ってゆき、その中へ、地面までのびている細い管から、種子が落ちこぼれる仕掛である。
「ここには蕪を蒔いています。」と、伯爵が説明した。「蕪は私の四期輪作法の基調ですよ。」
そして彼は播種器の説明にとりかかる。そこに召使が呼びにきた。館に御用があるという。
管理人が代理をつとめた。狡そうな顔をして、いやに腰の低い男である。
彼は《お客さんがた》を別の畑に案内した。ここでは十四人の刈入人夫が胸をはだけ、両脚をふんばって、裸麦を刈っている。鎌が茎にあたってさくさくと音をたてると、麦は右方に薙ぎ倒されてゆく。てんでに自分のまえで大きな半円を描きながら、一線上を同時に進んでゆく。二人のパリ児は、彼等の腕まえに感嘆の眼を見はり、豊かな地の幸に対しては、殆ど宗教的な畏敬の念に打たれるのだった。
ついで、彼等はいくつかの耕作中の畑に沿うて進む。黄昏が迫り、鳥は畔に舞い降りる。
それから家畜の群にも逢った。羊があちこちで草を喰み、彼等の小やみない啼声が耳につく。羊飼は木の幹に腰をおろし、かたえに一匹の犬を従えて、毛の靴下を編んでいる。
ブヴァールとペキュシェは生垣の柵を乗越えるのに、管理人の手を貸してもらい、二棟のあばら屋のわきを通りすぎた。ここでは牝牛たちが、林檎の木陰で反芻している。
農園の建物は全部境を接して、中庭の三方を占めている。ここの仕事はわざわざ引いた流れを利用して、水力タービンを使った機械作業である。革のベルトは屋根づたいに家から家へと延びている。そして肥料溜の中には鉄のポンプが動いている。
管理人は、羊小屋では地面すれすれにあけた孔を、また豚小屋では自然に閉まる仕掛になっている扉を指摘して、特別の注意を促した。
納屋は石の壁にはめこんだ煉瓦のアーチで、伽藍のような円天井になっている。
旦那がたのお慰みにと、女中が燕麦をいく攫みも鶏に撒いてやった。葡萄壓搾器の搾木が、彼等の眼には滅法巨大なものに映ったし、鳩舎にも登ってみた。とりわけ彼等の眼を奪ったのは牛乳加工場。四隅の活栓が、石畳を水びたしにしておけるだけの水を、たっぷり供給している。しかも、中へ入るとひんやりする。柵の上に並んだ茶褐の甕は、牛乳をなみなみと湛え、浅い大鉢にはクリームが入れてある。円錐形をしたバターの塊りが、銅柱の切れ端みたいに次々と出来てゆくし、地面においてあるブリキのバケツからは、クリームの泡が溢れそうだ。しかし、農園の珠玉は何といっても牛舎である。天井から床まで垂直にさし渡した木柵が小屋を二つに仕切って、一方は家畜のために、一方は用具一式のためにあててある。覗き窓がすっかり閉めてあるので、見透しはきかない。鎖につながれた牡牛どもが餌を食べ、彼等から発散する体温は低い天井にはね返って蒸れている。ふと誰かが明りをさしてやると、一すじの水が飼葉棚に並んでいる水飼槽をみたす。吼え声が湧きおこって、彼等の角が、棒きれの触れあうような音をたてる。どの牡牛も柵のあいだに鼻面を覗かせて、静かに水を飲んだ。
大きな繋駕車が中庭に入ってくると、若駒がたかく嘶いた。階下で、提灯が二つ三つ光を見せたかと思うと、消えてしまった。人夫たちが木靴を曳きずりながら、砂利の上を通って行く。夕食を告げる鐘が鳴った。
二人の客人は辞去した。
今日の見学が、すっかり彼等の心を捉えてしまった。その晩から、彼等は書斎で『田園の家』四巻を引張りだし、ガスパランの『講義録』を注文すると同時に、農事新聞の購読を申し込んだ。 もっと造作なく市場へ行けるようにと、二輪馬車も一台買込んで、これはブヴァールが馭してゆくことになった。
青い作業衣を着こみ、鍔ひろの帽子をかぶり、膝までの脚絆をはき、博労の鞭を手にして、彼等は家畜の周囲をうろつき、農耕者たちを質問攻めにした。そして、どんな農事共進会にもかかさず顔を出した。
やがてグイ爺さんは、主として彼の休地法に不満を抱く二人の、お談義めいた勧告にくたびれてしまった。しかし、小作人はその習慣を頑として枉げなかった。彼は雹害を楯にとって、小作料の免除方を申し込んできた。借金の方も鐚一文払わない。しごく当然な督促を前にしては、女房が金切声を立てる。とうとうブヴァールは小作契約を更新しないという肚を申し渡した。
それ以来、グイ爺さんは肥料を撒く手数を省き、雑草のはびこるにまかせ、土地を荒れ放題にしたまま、仕返しのたくらみを腹に蔵する太々しい態度をみせて出て行った。
ブヴァールはまず手はじめに二万フラン、つまり小作料の四倍あまりもあれば充分だろうと考えた。パリの公証人からこの金額が届けられた。
所有地の内訳は宅地と牧場で十五ヘクタール、畑地で二十三ヘクタール、それに《塚山》と呼ばれている小石だらけの丘の上にある荒蕪地で、五ヘクタールとなっている。
彼等は必要な農耕具一式に、馬を四頭、牛を十二頭、豚を六頭、羊を百六十頭買込んだ。それに使用人として二人の車力、二人の雑役婦、一人の羊番と大きな番犬一頭。
さっそく現金を拵えるために秣が売払われた。自宅で取引がすまされる。麦櫃の上で勘定されているナポレオン金貨が、彼等には普通のよりもひときわ光沢があって、有難いものに見なされた。
十一月には林檎酒の醸造に手をそめた。馬に鞭をくれるのはブヴァールの役、ペキュシェは桶のふちのっかって、林檎の搾り滓をシャベルで掻きまぜるのだ。
彼等は捻子を締めながら息を切らせ、柄杓で桶から樽へ詰めかえたり、樽の栓に念を入れたり、重い木靴をつっかけながら、すっかり興に乗っていた。
小麦ばかりはいくらあっても多すぎることはないという理論から、人工牧場のおよそ半分を潰してしまった。そして肥料の不足を油糟で補ったが、こまかく砕かないで地中に埋めてしまったために、収穫は惨めな結果に終った。
翌年は思いきって密に播種してみた。ところが嵐にあって穂は倒されてしまった。
それでも彼等は大麦の方に力瘤を入れて、《塚山》の除石を企てた。手籠で石を運ぶのである。その年じゅう照る日も降る日も、朝から晩まで、いつに変らぬ手籠で同じ人間と馬とによって、丘を攀じたり降ったり、また登ったりする姿が、きまって見受けられた。あとに従うブヴァールは、ときどき途中でひと息入れては、額の汗を拭った。
誰を信用することもならないので、家畜の世話も自分達で焼き、下剤や浣腸までしてやった。
とんだ不行跡がもちあがった。家畜番の娘が身籠ってしまったのだ。彼等は夫婦を傭い入れてみた。子供たちはぞろぞろ生れる、従兄弟だ、従姉妹だ、伯父だ、儀姉妹だと、一家眷属よってたかって、彼等を喰いものにしようとする。そこで彼等はみずから交替で、小屋に寝泊りすることに決めた。
しかし夜分は淋しい。それに不潔な部屋が鼻もちならない。しかも食事を運ぶジェルメーヌは、その度にぶつくさ文句を云う。皆があらゆる手段で、彼等をちょろまかそうとかかった。麦打人夫は納屋の中で水筒に麦をつめこむ。一人の現場を押さえたペキュシェは、肩をこづいて外に突出しながら、
「碌でなし! 貴様を生んだ土地の恥さらしだ!」と怒鳴った。
彼の人柄は一向に人望を集めなかった。それに彼も庭園の方に未練があった。行届いた手入をしておくためには、彼の時間をすっかりかけても多すぎはしない。農園の方はブヴァールが面倒を見ることにしよう。二人は相談ずくで、こう分担をきめた。
先決問題はよい苗床を持つことである。ペキュシェはこれを煉瓦で一つ造らせた。自分でそのフレームにペンキを塗り、また太陽の直射をおそれて、吊鐘形のガラス蓋も、一つ残らず炭酸石灰で塗りつぶした。
挿木に対しては、葉のついた頭を払ってやる注意を忘れなかった。それにつづいては、壓枝(とりき)に力を注いだ。いろいろな接木法、例えば笛形芽接ぎ、高接ぎ法、楯形芽接ぎ、切接ぎ法、舌接ぎ法などをやってみた。どんなに心をこめて二つの内皮を繋ぎ合せたことだろう! どんなにしっかり緊縛したことだろう! またどんなにふかふかした覆土を以て、そのまわりを包んでやったことだろう!
日に二回、彼は如露を手に、まるで香炉を振りふり浄めでもするかのような恰好で、植物の上にそれを振りまわす。糖雨となって降りそそぐ水の下で、植物が生々してくると、彼自身もともども渇きが癒されて、蘇生の思いがするのだった。そして陶酔に我を忘れてくると、彼は蓮の実形の先を抜きとって、如露の口いっぱいに、たっぷり水を撒きちらした。
あかしで並木のはずれ、例の石膏の女像のわきに、一連の丸木小屋があった。ペキュシェはそこに道具類をしまい込み、ここを根城に種子をすぐったり、名札を書いたり、小さな植木鉢を順序よく整理したりして、何時間でも心のどかに過す。一服するには、戸口の前で木箱に腰うちかけて、そこで庭園の美化に頭をひねるのだ。
玄関わきには、ジェラニウムの毛氈花壇を二つ据えつけた。紡錘形に刈込んだ果樹と糸杉との間には、向日葵を植えた。それに花壇は一面に金鳳花で蔽われているし、小径はすっかり新しい砂を敷きつめたので、庭はこぼれんばかり黄金色に眼も眩むほどであった。
しかし、苗床には虫が湧いてしまった。朽葉の堆肥をやったにもかかわらず、また塗りつぶした吊鐘形のガラス蓋や、ペンキを塗ったフレームの甲斐もなく、いじけた芽しか出なかった。挿木はつかず、接木は剝がれ、壓枝の樹液はとまり、葡萄の根は病気に罹り、苗木は見るも無惨な状態であった。風は面白がって隠元豆の添木を倒してしまう。苺には肥料のすぎたことが、またトマトには芽摘みの足りないことがいけなかった。イタリヤ玉菜も、茄子も、蕪も、それに、水盤で育てようと楽しみにしていた水菜も失敗に帰した。雪解の後、朝鮮薊もそっくり消えてしまった。玉菜だけが彼のせめてもの慰めであった。わけてもその中の一つは希望の的だった。これが葉をひろげて盛れあがると、遂には絶対に食べられそうもない、途轍もなく物凄いものとなった。それでも結構、ペキュシェにすれば魁偉な化け物を育てあげたことが御満悦だった。
そこで、彼は園芸の極致といわれるメロンの栽培に手を染めた。
彼は堆肥を盛った小皿に、いろいろと変種の種子を蒔いて、それを苗床に埋めた。それからもう一つ別の苗床を拵えて、その土がなれたところに、中でも発育のいい苗だけを移植して、その上から吊鐘形のガラス台をかぶせた。園芸の名人の訓えを体して、すっかり芽摘みをやり、花を大切にして実を結ばせ、蔓ごとに一つだけを残して、あとは捥ぎとり、それが胡桃大になるや、果実の下に薄板を敷いて、肥料にじかに触れて腐ることを防いだ。保湿と通風に心を配り、ガラス蓋のくもりをハンカチーフで拭きとり、雲でも出れば慌てて菰をかけてやる。
夜もおちおち眠らなかった。二度三度と起きることさえある。そして裸足に長靴をひっかけ、襦袢のまんま慄えながら庭をつっきって、自分の寝床の蒲団を温室にかけてやりに行く。
甜瓜が熟した。初ものにブヴァールは顔を顰めた。二つ目もおいしいとは言えない。三つ目も落第。ペキュシェはその度に何かと理屈をこねて申し訳をしていたが、とうとう最後のやつを窓から庭へ抛りだすと、さっぱり訳がわからないと白状した。
実際はさまざまな種類のものを余りくっつけあって栽培したため、甘瓜は白瓜と、丸いポルトガル種は大きいモゴール種と混り合い、そこへもってきて、これも近くにあったトマトがこの混乱に輪をかけて、南瓜の匂のするとんでもない間(あい)の子が生れてしまったのである。
そこでペキュシェは花卉類に鞍替えした。灌木と種子を手に入れるので、デュルシェルに手紙を書き、予備の腐葉土をしこたま買込んで、決然と仕事にかかった。
ところが、時計草を陽かげに植え、三色菫を陽なたに植え、ヒヤシンスに肥料をやり、花をもった百合に水を灌ぎ、躑躅を刈込みすぎて台なしにし、動物性の膠質で釣浮草に刺激を与え、柘榴を炊事場の火に炙って焦してしまう始末。
寒さが近づくと、彼は蝋びきした丈夫な紙の掩いで、野ばらの霜よけをしてやる。これは棒で宙にささえた円錐形の白砂糖といった眺めであった。
ダリヤの副木はべらぼうに大きい。そして、このまっすぐな線の間には、凋むでもなく伸びるでもない、旧態依然たる槐(えんじゅ)のくねくねした枝ばかりが目につく。
ともかく、首都の植物園にも、ごく珍しい植木がすくすく育っているのだから、シャヴィニョールだって成功しないわけはあるまい。そこでペキュシェは印度ライラックだの、支那ばらだの、当時評判になりだしたユーカリだのを取寄せた。しかし、どの試作もしくじってしまう、彼はその度に、これはしたりといわぬばかりの、怪訝な顔をした。
ブヴァールも彼に劣らぬいくたの難関に逢著した。彼等は互に相談をもちかけ、こちらの本を開き、あちらの本をとっくり返してみるが、さて、まちまちな学説を前にしては、解決の鍵の握りようがない。
泥灰石にしても、ピュビはこれを推奨しているのに、『ロレ提要』はこれに反対している。 また石灰の撒布についても、フランクリンの例証があるにもかかわらず、リエフェルやリゴ氏はこれを高く買っていない。
休地法なんかも、ブヴァールに言わせれば時代錯誤の偏見である。ところが、ルクレールはこれが殆ど不可欠な事情を記録している。ガスパランは五十年の間一つ畑で穀類を耕作しつづけた、あるリヨン人の事例を挙げているが、これは輪作法の理論を覆すものである。テュルは耕土の重要性を強調するのあまり、肥料を問題としていないし、ビートソン少佐に至っては、耕土と同時に施肥することを禁じている! 天気模様を予知しようと、リュク₌ハワードの分類法に従って、雲の研究もやってみた。鬣のように伸びているのもあれば、鳥に似ているのもあり、雪の山と見まがうのもある。それらを眺めて乱雲と巻雲とを、層雲と積雲とを見わけようとしても、その名称の判断がつかないうちに、雲の形が変ってしまうのだ。
晴雨計には欺される、寒暖計はあてにならないというわけで、ルイ十五世の御代に、トゥーレーヌのある牧師が考案したという方法に頼ることとした。ガラス瓶に入れた水蛭が、雨の場合には上へ這いのぼり、天気の日にはじっとうずくまり、嵐の気配には動きまわるというのだ。しかし、天候は殆ど常に水蛭と喰い違う。そこで別にもう三匹入れてみた。すると四匹ともにてんでんばらばらな行動をした。
とつおいつ思案の末に、ブヴァールは方針の誤っていることを悟った。彼の所有地には大農法と集約農法が必要なのだ。彼は自由に使える資本の残額三万フランを、思いきりよくこれに注ぎこんだ。
ペキュシェに煽られて、彼も肥料に熱をあげた。肥溜には芝草だの、血だの、臓物だの、羽毛だの、手あたり次第のものを詰めこんだ。ベルギー水肥やスイス肥料、灰汁、鰊の燻製、海藻、襤褸屑も利用するし、海鳥糞を取寄せると同時に、手製のを拵えようと苦心して、その原理を徹底的にふり翳し、尿を棄てることを許さず、厠も廃してしまった。動物の屍を中庭へ運び込んで来るのは、これで土を肥すためである。細切れにした腐肉が畑にばらまかれた。ブヴァールはこの悪臭の中で笑っていた。肥車に取付けたポンプが、作物の上に糞汁を吐きちらかしている。厭な顔をする人々に向っては、
「だって、黄金ですぞ! 黄金ですぜ!」と言うのだ。
しかも彼はまだ肥料が充分でないとこぼすのである。鳥の糞だらけな自然の洞穴に恵まれた国々は仕合せなるかな!
油菜はいじけきった出来、燕麦はどうにか並作、大麦ときたら匂があって、とんと売れない。おかしなことには、やっとの思いで除石した《塚山》の収穫が以前より悪いのだ。
農耕具も一新するに如くはない。そこで買入れたのがウィリアム式撹土器、ヴァルクール式除草器、イギリス製の播種器、それと、マティウ・ド・ドンパール式の大型回転犂。ところが農耕人はこの犂を鼻の先であしらった。
「使い方を覚えるんだぞ!」
「じゃあ、やって見せてくだせえ!」
彼はやって見せようとしてやり損い、百姓どもはせせら笑った。
彼等を鐘の合図に従わせることが、彼には何としても出来なかった。たえず彼等の背後で怒鳴りたてたり、あちらこちらと駈けまわったり、手帳に覚えを控えたり、ランデ・ヴーの約束をしながらけろりと忘れてしまったり、彼の頭は事業の目論見できりきり舞いをしている。阿片を取るために罌粟も栽培しよう。特に紫雲英は、これを《家庭コーヒー》の名で売り出すのだ。
牛を手取早く肥らせようとして、彼は半月ごとに血を搾った。
豚は一匹も落さなかったので、塩水にふやかした燕麦を鱈腹つめこませた。そのうち豚小屋が窮屈になってしまう。豚どもは中庭を荒しまわり、園をぶち壊し、人間にまで噛みついた。
盛夏を通じて、二十五頭の羊が眼をまわしたかと思うと、間もなくのびてしまった。
ブヴァールの刺絡が因で、一週間に三頭の牡牛が斃れた。
黄金虫の幼虫退治に彼が考案したのは、車輪のついた籠に鶏を伏せて、二人の男が鋤のうしろから押していく仕掛。これでまんまと鶏の脚をへし折った。
彼は槲の葉でビールを醸造して、これを林檎酒がわりに草刈人夫どもに飲ませた。とたんに腹痛が訴えられた。子供たちは泣き叫び、女たちは苦情を云い、男たちは憤激した。一人残らず罷めてしまうと彼らから嚇されて、ブヴァールはとうとう兜を脱いだ。
それでも、飲料の無害なことだけは得心させておこうと、彼は皆の前でこれを二三本も平げてみせた。胸につかえる苦しさだったが、その厭な気分を陽気な態度でごまかした。そればかりか、この飲物を家に運ばせて、晩飯にペキュシェといっしょに飲んだ。そして二人とも無理にもうまいと思い込む努力をした。それに、腐らせてしまうなんてもっての外だ。
ブヴァールの腹痛があまり激しくなったので、ジェルメーヌは医者を迎えに行った。
これはおでこの生真面目な男で、まず病人を脅しにかかった。御主人の下痢は、近所で評判になっている例のビールが原因だ。彼はその成分を穿鑿して、肩をすくめながら、専門語でこれを咎めだてた。この処方を提案したペキュシェの面目は、これで丸潰れとなった。
蒔く前の種子を石灰水に通すという危険きわまる細工を弄し、二度鋤きの手を省き、時期はずれに薊の除草をやったにかかわらず、翌年は麦の大豊作に恵まれた。彼はこれをオランダ流のクラブ・メイヤー式発酵法によって、かわかそうと思いついた。つまり一斉に刈取った麦を、山に積みかさねた。この藁塚にガスが発生しだしたら、これを崩して陽に曝すのである。一段落つけて、ブヴァールは何の屈託もなく引上げた。
翌日、晩飯を食べていると、山毛欅並木の下で太鼓を叩く音が聞えた。ジェルメーヌが何事かと飛出して見たが、その男はもう遠くへ行っていた。それにおっかけて、教会の鐘がけたたましく鳴りわたった。
ブヴァールとペキュシェは胸騒ぎを覚えた。すわとばかりに立上ると、事情のわからないのがもどかしく、無帽のままシャヴィニョールの方へ駈けだした。
老婆が通った。彼女は何も知らない。一人の少年を呼びとめると、
「火事らしいよ!」との返事。
しかも太鼓は鳴りもやまず、教会の鐘はいよいよ烈しく響きわたる。ようやく彼等は村はずれの家並までとっつく。すると食料品店の主人が遠くから、
「火事はお宅ですぜ!」と叫んだ。
ペキュシェは駈足に移り、肩を並べて歩調を揃えるブヴァールに声をかけた。
二人の走っている道はずっと登りで、爪先あがりの台地が眼路を遮っている。《塚山》の近くで台地に出ると、ひと目で災害がそれと知れた。
静かな夕頃、裸な草原の中に、あちらこちらで、藁塚が火山のように火を噴いている。
いちばん大きな塚を取巻いた人だかりはおそらく三百人。三色の飾帯をかけたフーロー村長指揮のもとに、若い衆が竿と鳶口で藁の山を切崩している。他の塚を助けるためだろう。
慌てふためいたブヴァールは、そこに居合わせたボルダン夫人を、すんでのことに引っくり返すところだった。ついで下男の一人を見つけるや、主人に知らせなかったと言って悪口雑言を浴せかけた。あに図らんや、この下男は熱心のあまり、自分の家から教会へ、それから主人の許へと注進に及んで、別の道を現場にとって返したのである。
ブヴァールは逆上していた。使用人たちが彼を繞って、八方から声々に喋りちらす。彼は藁塚を崩すことを拒み、助けてくれと訴え、水を頼み、消防隊を求めた。
「そんなことが出来ますかいな!」村長が叫んだ。
「そいつは貴方のせいだ!」ブヴァールはやり返す。
かっとなった彼が喚きたてる悪態を耳にしては、なみいる人々も、フーロー氏の堪忍袋に敬服しないわけにはゆかなかった。というのも、肉の分厚い唇や、ブルドッグのような顎でもそれと知れるように、村長はなかなか獰猛な男だったからである。
藁塚は寄りつけないほどの烈しい熱さになった。舐めるような火焔の下で、藁はぱちぱち爆ぜながら捩じまがり、麦の粒は霰弾のように顔へ襲いかかる。やがて藁塚は大きな火の玉となって地上に崩れおちると、そこから火の粉が飛び散った。そして木理模様を波打たせているこの火達磨は、朱肉のようなばら色と、血の塊りみたいな暗褐色とを綾なしている。夕闇が迫って風が吹きだした。煙の渦が群衆を包み、火柱が時々ほの暗い空にむけて噴きあげた。
ブヴァールは静かに泣きながら火事を眺めた。その眼は腫れた瞼のかげに隠れ、顔全体が苦悩にむくんでしまった感じである。ボルダン夫人は緑色の肩掛の房飾りを弄び、「お気の毒な方」と呼びながら慰めにかかった。手のつけようがないので、断念するより他はないのだ。
ペキュシェは泣かなかった。顔面は蒼白というよりむしろ鉛色、口を開き、冷汗で髪の毛をぴったり寝かせ、ひとり離れて物思いに沈んでいる。そこへいきなり神父が現れて、猫撫声で囁いた。
「いや、とんだ御災難ですな、まったく。酷いことです! ほんとに御同情に堪えません!……」
他の連中は悲しげな素振りさえ見せない。火の方へ手をさしのべて談笑している。ある老人は燃えさしの藁しべを拾って、パイプに火を点けた。子供等は踊り狂う、一人の腕白小僧などは、とても痛快だと囃したてた。ペキュシェはこれを聞きとがめて、
「おお、綺麗だとも、余興だ!」と叫んだ。
火勢は衰え、麦の山は嵩が減り、一時間後には平地に丸く、黒い痕跡を留める灰だけが残った。
そこで人々は引上げて行った。
ボルダン夫人とジェフロワ神父とが、ブヴァールとペキュシェを邸まで送ってくれた。
途々、未亡人は隣人の無作法な態度をやさしくたしなめ、聖職者は自分の教区にこんな立派な信徒のあることを、今の今まで知らなかったとは迂闊千万であると言った。
二人は額をあつめて火事の原因を究明した。そして世間の認める湿った藁の自然発火という意見を排して、復讐ではないかという疑惑に傾いた。とすればグイ爺さんか、土竜取りの仕業である。半年前、ブヴァールはその男のサービスを断ったことがあるばかりか、一団の聴き手を前にして、彼のいかがわしい商売は、政府がこれを禁止すべきであると主張したことさえある。それ以来、この男は家のまわりをうろついた。鬚ぼうぼうの男が、殊に夕暮れ時、ながい棒きれに土竜を吊るしたのを振りふり、中庭のあたりに姿を現すと、何ともいえない不気味な思いがしたものである。
損害は莫大だったので、資産情況の調査にペキュシェは一週間を費して、ブヴァールの帳簿をひっくり返したが、これは《ほんとの迷宮》だった。出納簿とか、往復文書とか、或は鉛筆がきの覚えや、送り符号で埋まっている台帳とか、そんな書類と首引きのあげくに掴み得た真相は、売るべき商品も、受取るべき手形も皆無、現金は零。資金は締めて三万三千フランの欠損となっている。
ブヴァールは頑としてこれを信じないので、彼等は二人して二十回以上も計算をやり直したが、何度繰返しても同じ数字が出る。こんな農業をもう二年も続けようものなら、それこそ彼等の財産は消えてしまう! 唯一の善後策は売払ってしまうことだ。
ともかく公証人に相談しなければなるまい。この奔走はさすがに辛かったので、ペキュシェが当ることになった。
マレスコ氏の意見によれば、宣伝は一切しないがよかろう。農園のことは、自分が信用のおける客にそれとなく話して、先方から口火を切らせるように仕向けようとのこと。
「よかろう。」ブヴァールにも異存はなかった。「まだ余裕はあるからな。」
彼は小作人を傭い入れるつもりでいた。その上でとくと思案することにしよう。
「何も今までより惨めになったわけじゃない。ただ、経済を切詰めなきゃならんだけさ。」
しかしこいつは園芸をやっているペキュシェには痛かった。数日後に彼は提案した。
「これからは果樹を専門にやろうじゃないか、それもお道楽でなく儲け仕事にさ。三スーで出来る梨が、都会へゆくと、時には五フランから六フランで売れるんだ! 庭師は杏子で二万五千リーブルからの年収を挙げるんだからね! サン・ペテルスブールでは、冬になると葡萄一房にナポレオン金貨を一枚払うというぜ! 好い商売さ、そうだろう! それにどれだけかかるというんだい? 世話を見る手間と肥料、それにせいぜい果樹園用の小鉈を研がせるくらいのものじゃないか!」
こんな具合にブヴァールの空想をさんざん煽りたてた上で、二人はさっそく案内書によって苗木の目録を求め、その中から素晴らしそうなものを選んで、ファレーズの苗木屋に発注する。植木屋は渡りに船と、売口のない苗木を三百本送ってきた。
副金を造るのに鋳掛屋を、鉄線張りには金物屋を、添木のためには大工を傭った。果樹の整姿をはじめから決めてかかっているのだ。墻壁の飛打の木片は枝付燭台を象り、花壇の両端に立てた二本の杭には、鉄線を平行に張渡し、苗木畑にある副金の箍はそれぞれに盃状、円筒状、ピラミッド状などの整枝形をとっているので、彼等の許へ来た人々は何か見も知らぬ装置、さもなければ、花火の仕掛ぐらいに思ってしまった。
穴を掘った上で、好いも悪いもなく、苗木の命根を端からすっかり剪除して、それを混合肥料に漬けた。半年たったら、苗は一本残らず枯れてしまった。改めて植木屋へ注文、そして更に深い穴へ植付の仕直し。ところが雨で水浸しになり、接穂まで土埋めにあって腐ってしまった。
春になって、ペキュシェは梨の木の刈込みにかかった。彼は縦に伸びた枝を払わず、脇枝を大切にして、斜立形に仕立てるべきデュシェス・ダンムレームの枝を、水平に寝かせようと無理をしたため、或は挫き、或は折ってしまった。桃の方は親枝も子枝も孫枝も見さかいがつかない。発育枝も結果枝も、あるべからざる位置に残されている。従って、二本の主枝は別にして、左右六本ずつの梢枝でもって、美しい魚骨の姿を呈すべき完全矩形を、樹墻の上に形づくることは不可能であった。 ブヴァールは杏の木を矯めようとしたが、さっぱり自由にならない。これはその幹を地面すれすれのところから払ってしまったが、そのあとには何も芽生えて来なかった。桜の木まで刈込をやったので、これは樹脂病に罹ってしまった。
はじめは刈込をえらく長目にしたので、基部の葉芽を消してしまった。次には短すぎたので、無駄枝が出てしまった。しかも花芽と中巻芽との区別がつかずに、しばしば戸惑いした。彼等は花をどっさり付けたといって得意がったけれど、やがてその誤りを悟って、四分の三は摘みとった。残した花を強くするためである。
二人の話題といえば、樹液とか新生組織とか、整枝だ、剪枝だ、摘果だと、そんなことばかり。食堂の中央には、番号つきで愛児たちのリストを額縁におさめ、庭の方でも、それぞれ木の根方に小さな木札で、その番号を照合してある。
未明に起きでて、