言語化したら抜け落ちるもの
あるような気もするが、絵だって細密に描けるわけでもないのに、文が完璧でないことを嘆くのはおこがましいと思う。
明文化したものを読むことで、頭の中にあった概念がその明文化されたレベルに限定されるというフィードバックももしかしたらあるのかもしれないけども、頭の中にあるだけだと使い方も限られるしなあ。
どうせ死蔵したものはいつか忘れちゃうので、何かに出力しておくのは悪くない。
出力対象を言語ではなく、絵や音楽にしたら、抜け落ちるものが別になってほかのものを固着できるのかもしれない。
抜け落ちさせたくないし、忘れない自信があることがらであるならば、心の中に生で放し飼いにするのもロマンがある。