fragmentをpieceにする
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頭の中にあるアイデアは、イデアと同じで非常に「理想的」な形をしている。直線で構成され、つるっつるである。これらが頭の中にあるとき、それは無限の組み合わせを喚起する。いくらでも並べうるし、だからこそ並べきれない。 そのアイデアを文章の中に置いてみる。流れの中で表現してみる。すると、どうしても直線が崩れ、凸凹が生まれてくる。文脈が文章を拘束し、拘束されたその文章が次なる文脈を生成する。そうして、文章は組み上がっていく。自然石構築法である。 fragmentは自由だ。それは無限の可能性を秘める。
pieceは不自由だ。それは組み合わせられるものが限定されている。
そこで思うのだ。文章を書くとは、fragmentをpieceにしていく行為なのではないか、と。有限化された組み合わせの中で、何かに見える「絵」に仕立て上げていくことではないのか、と。
だからこそ、文章を書くことは──ときに強いイライラを伴いながらも──非常に楽しい行為になるのであろう。