猿がたたくキーボード
→無限猿のタイプライター
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無限の猿と無限のキーボードを準備する。彼らに好き勝手にキーボードを叩かせる。すると、ボルヘスが描いた「バベルの図書館」と同じように、そこにはあらりとあらゆる可能性の原稿が生まれる。当然そこにはシェイクスピアの「ハムレット」も含まれるだろう。とすれば、無限の猿はシェイクスピアと同等の創造性を有すると言えるのだろうか。
答えは否である。無限の猿には、次のうち2つのどちらかが必要である。
シェイクスピアの「ハムレット」か、あるいは、無限の原稿のうち一つがまさに力を持つと断定できる決定者である。前者は、単純にシェイクスピアの創造性を前提にしている(「これはシェイクスピアの『ハムレット』ではないか。この猿はすごい」)。ゼロから立ち上がったものではない。
創造性とは選択する力のこと
創造とは選択である
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では、後者はどうか。まさにそれができる存在がシェークスピアその人である。ある言葉づかい、コンマの位置など、「ハムレット」には無限に等しいバリエーションが存在しうる。しかし、シェイクスピアは、そのうちの一つを選定し、決定して、原稿に残した。創造性の本質は、選択肢の生成にあるわけではない。むしろ、あまたの選択肢から何かを選びとる力こそが、創造性なのである。
作家は常に、そこにあてはまるもっともふさわしい言葉を探してまわる。あまたの可能性の中から、「これ」というものを選びとる。断片の選択。それこそが、創造性のコアである。組み合わせをたくさん作ることは、その準備段階にすぎない。
初出:2017.Mar.11