断片の操作は断片的か
もし、断片の操作が断片的に行われているならば、そこから全体が生まれることはないだろう。1つひとつのメモをすべて別のノートに書いている状況を想定してみると良い。そこから自己組織化が生じたら驚くべきことである。 ただし、私たちは「私たち」のもとで一つの全体性を有している。どれほど違うノートを使おうとも、主体は単一である。ここで無限ホテルに似た無限自分を仮想してみる。一つひとつの記憶が、別々の自分の中に収納される人間である。ここでもまた全体化は生じえないだろう。つまり記憶こそが、全体化の主体である。だからこそ、創造性には、意識的なもの以外が顔を覗かせることになる。 初出:2017.Feb.16