全体化への意志
全体化を支えるものは、単一の(あるいはそのように見なせる)記憶である。逆に見ることもできる。全体化を行おうとするものを、単一の主体として捉えるのだ。主体のレベルを全体化への意志として同定する。 言い換えよう。「私」とは何か? 全体化を行おうとする意志を持つ主体だ。だから、腕は「私」ではない。脳の機能が停止した体も「私」ではない。
個が、別の個と区別されるのは、全体化の差異である。どんなものを生みだそうとするのか、実際に生み出しているのかが個を同定し、他の個との区別を生み出す。それがなければ、個は全体に埋没する。断片にすらなれない。 初出:2017,Feb.17