目隠し将棋とコミュニケーションの理論
目隠し将棋をしている人が脳内将棋盤を持っていると考えるのは不合理ではない
少なくとも9×9以上の短期記憶容量を持っているはず――ってそれはおかしいな。
人間の短期記憶はそんなにない。(マジックナンバー7)
チェスのプレイヤーは全くランダムな盤面を記憶することはできない。
指し手の履歴みたいなデータ構造を考えたほうがいいかも(それもそれで容量を食いそうな気もする)。
目隠し将棋における不合意
数学におけるコミュニケーションは手紙で棋譜を送り合ってそれぞれで別々の盤を並べて将棋をプレイしていると考えれば良い。共通のものへの因果的接触を持たずとも同じことを意味しコミュニケーションが成立する
個物としては共通ではないが構造が共通である。
「ご迷惑をお掛けしたならお詫びします」みたいな条件付きの謝罪は謝罪じゃないって人が居るけど、例えば覆面将棋で「そこに歩があるなら負けました」みたいな条件付きの宣言も投了として認めるようなルールを作ることは問題なくできる
(追記: そういう論点ではないかもしれない)