概念の哲学
一般性制約
by ギャレス・エヴァンズ
「aはP」という概念的思考を持つには、「aはQ」なども考えることができなければならない
思考の要素の組み換えを行えること
知覚の概念性
知覚では赤、黄色という主体が持つ概念よりきめ細かい内容が知覚されているかみたいな話らしい
概念主義と非概念主義の論争において問われているのは、信念や思考の内容が概念的であるのと同じ意味において知覚経験の内容が概念的であるかどうかである。本論では、信念がもつ「フレーゲ的内容」について、それを概念的たらしめている諸基準を明確化した 上で、それらの基準が知覚経験に対しても適用しうるかどうかを探るという方針をとる。 それらの概念性の基準とは、(1)合成性、(2)認知的意義、(3)指示決定性、(4)力からの独立性、の四つである。
第四章では、概念主義/非概念主義論争の内部におけるさらなる対立軸として「内容説」 と「状態説」という区分を取りあげる。内容説とは、概念的/非概念的であるのは知覚経験の内容であると主張する立場であり、状態説とは、概念的/非概念的であるのは知覚経験の状態であると主張する立場である。(同 p.8)
ただし、感情に関するいわゆる「ジェームズ=ランゲ説」を採用するならば、感情経験は知覚経験と異なるものではなく、むしろその一種であると考えることもできる(Prinz 2004, p. 120)。ジェームズ=ランゲ説に対する一つの解釈によれば、感情とは自律神経系や内分泌系における変化によって引き起こされるさまざまな身体状態の知覚であり、それらの身体状態を感覚的に表象することによって生起する。本論では感情経験を主題的に取り上げることはしないが、もしそれを知覚経験の一種であると考えるならば、 感情が判断に対して理由付与関係に立ちうる限りで、そこに認知的内容を認める「認知主義」に組するこ とになるだろう。 (同.p13 脚注2)
"二 錯視はなぜ消えないか"←進化の過程で消えることも多いんじゃない?
感覚と思考が別のモジュールと考えれば