本質主義って何
#形而上学 #存在論 #普遍者 #自然種
用語の整理
アリストテレス
クリプキ
物が必然的に持つ性質
de reの本質とde dicto の本質があるんじゃなかったっけ
クリプキによる、「個体にとって、それが属する生物種は本質である」は生物学的な観点から批判されてる
進化論、生物学の哲学 (D. L. ハル)
必要十分条件の記述としての本質?
D. L. ハルは、生物種に関する本質主義は進化論と両立しないと主張。
心理的本質主義
In other words, according to essentialism, categories (such as "boy," "girl," or "intelligence") are real, in several senses: they are discovered (rather than invented), they are natural (rather than artificial), they predict other properties, and they point to natural discontinuities in the world.
Gelman SA (2003) The essential child: Origins of essentialism in everyday thought.
本質主義によれば、カテゴリは実在する。ここで実在するというのは、以下のような意味:
それは発明されるのではなく、発見される
それは人工ではなく、自然である
それは他の性質を予測する
それは世界の自然な不連続性を指し示す
Gelman (2003)は心理的本質主義の文献だけど、上の定義自体が心理的本質主義なわけではなく、心理的本質主義はカテゴリをこのような意味で実在だと思う傾向を指しているのかな。
Medin, D. L., & Ortony, A. (1989). Psychological essentialism.
(心理的本質主義の文脈で) George E Newman & Joshua Knobe "The essence of essentialism"の因果的本質主義は、
観測可能な複数の性質を、観測不可能な単一の性質を原因とするものとして説明する
さらに、あるカテゴリに帰属するかという判定自体が、この原因を共有しているかどうかによって決定されるとされる
つまり、因果的本質主義によれば、表面的な見た目が虎でなくても、内部の原因が共通である限り虎とされる (これはパトナム「意味の意味」における、「水」が指すものは日常的に水を同定するときに用いる性質 (無色透明、固定した形を持たない) ではなく、その共通の原因である「$ \mathrm{H_2O}という化学構造を持つこと」である、という主張に近い)。
この論文の著者の1人は、実験哲学のJoshua Knobeですね
因果ベイジアンネットワークで図示できそう
ポストモダニズム
お互いに関係あるのか
進化論における生物種の本質主義に対するハルの批判を受け入れたとしても、心理的本質主義でいう本質主義は維持できそう?
なぜなら、心理的本質主義のGelman (2003) による特徴づけでは、あるカテゴリに共通の内在的な性質があるとまでは言ってないから。
ただし、進化論によれば、種分化は連続的なプロセスなので、歴史上通して見たときに、natural discontinuities があるわけではないという意味では、心理的本質主義も、進化論と矛盾する。
「ある性質が生得的であるとする考えのことを "本質主義" って言うひとがいるけど、生物学者 (D.J.ハル) も生物種の本質主義は進化論以後葬られたと言ってるよね? これってどういうこと?」 という疑問を持ったけど、その答えはたぶん「本質主義という言葉で意味しているものが違う」ということだろう。
心理的本質主義の意味で本質主義が成立するけど、クリプキの意味では成立しないケースも想定できる。
たとえば、インフルエンザ患者の色々な症状は、直接には観測不可能で、自然的で、発見された、段階性のないゼロイチの原因 (インフルエンザウイルス。ウイルスの数を数えることはできるけれど) によって説明されるものの、その患者がインフルエンザでなかった可能世界を想定することができる。
心理的本質主義というのは、(クリプキに連なる) 分析哲学者たちが本質と呼ぶものよりも、自然種 (と、自然種が実在するとする実在論) と呼ぶものに近いように見える。(おそらく、他の哲学潮流における本質概念は、心理的本質主義がいう本質により似ていそう。)
カテゴリに帰属するかの基準自体になるというのはクリプキの本質概念に似たものだし、クリプキは物の起源はその (de re) 本質であるみたいなことを言っているし(訂正: クリプキの言う起源の例は、個体の本質がその親だったりするみたいな話で、"観察可能な現象の原因"とは違うかも)、George E Newman & Joshua Knobe の因果的本質主義とクリプキの本質主義はつながる。