八木沢敬『分析哲学入門』
最初の頃に読んだ入門書
ayu-mushi.icon「数2はどこにあるのか」に対して、「数1と数0の間にあるのだ」という回答が、「それでは数1と数0の間の奇数はどこにあるのか」のような存在しない場合にも「数1と数0の間だ」と答えられてしまうからダメだというなら、
「ayu-mushiはどこにいるのか」に「日本である」と答えることも、「シャーロック・ホームズはどこにいるのか」に「イギリスだ」と答えられてしまうからダメということになりかねないと思った。
「どこにあるのか」に答えることが、問われているものが存在するという直接的な根拠を与える必要はないのでは。
そう見えるのは、「どこにあるのか」という問いと「そもそも存在するのか。どういう根拠で存在すると思うのか」という意味で使われることもあるというだけではないか。
「存在するという根拠はなにか」とか「どういう存在論的地位なのか」「何に存在依存するか」ではなく、「どこにあるのか」と聞かれているなら、「2はℕの中に存在する」とか「3と1の間に存在する」というのはかなりマトモな回答に思える。
(「何に存在依存するのか」と聞かれているなら、「何にも存在依存しない。数は独立した対象である」という答えがあり得る。)
数学的構造主義においては、3と1やℕを抜きにして2だけが独立に存在することはできず、それらは本質的なつながりを持っているから、存在依存という意味でも、「2はℕの中に存在する」とか「3と1の間に存在する」というのは正しい答えである可能性がある。
八木沢の議論は「あなたは腕が痛いというが、あなたは腕を取りさったとしても幻肢痛で痛いと感じるのだろうから、あなたの痛みがあるのは本当は腕ではなく脳なのだ」というのと似ているかもしれない(そうか?) (それと類比させるためには3と1や、ℕを取り去る?)(ともかく、日常言語での位置づけの語り方を超えた、「真の位置」が存在するという点では共通している)
(そのような議論をするためには、「「存在者Xはどこにあるのか」という質問にはXの種類などによって様々な答え方があり、唯一の正しい答え方はない(「物体がある場所にある」というイメージからの比喩を普通の物体以外の存在者にも拡張する仕方は複数考えられ、どれか1つが正しいわけではない)」というのではダメで、「どこにある」という疑問への普遍的な答え方がないといけないのではないか)
@peirce_bot: 遠隔作用に対して、ある物体が存在しない位置でその物体が作用することはありえないと反論する人たちがいる。しかしある位置にある物体が存在すると言うとき、その物体が他の物体に及ぼす諸力がその位置に集中しているということ以外、何らかの意味があろうか? (概念の拡張方法が複数考えられるという論点をサポートすると)もともと哺乳類にだけ性別というのを考えていたとして、後になって鳥の性別について考えることになったというときに、「いや、「そもそも性染色体がヘテロ接合である方がオスだ、それがオスであるということなのだ」という考えにもとづくなら、ZW染色体を持つ方がオスと言っていいね」という性別概念の拡張法があるかもしれないように、位置概念にも複数の拡張方法があるかもしれない