信念
「信念」という語の私の用法は(分析?)哲学の標準的な用法にならう。すなわち、誰かが「Pという信念を持つ」ということは、その誰かが「Pと考えている」ことと全く同じ意味である。
証拠があるか無いかに限らず使うし、「かばんに鍵が入っているという信念」のように些細なことや、「今日は天気が良い」のようにすぐ変わることでも、信念という語を使う。
信念に程度はあるか
欲求の強さを払えるお金で定量化するように、信念の強さをその考えにどれだけベットできるかで定量化(ヒース『ルールに従う』p.32)
(みんなが「祈ることで実現される可能性が強まる」と信じていると、希望の強さを信頼可能な形で表明する手段が手に入るこになる ただ信じている内容が変わっただけだが、まるで言語に新しい機能が追加されたかのようだ)
用語についてはこのように #凡例 という説明ページを作ることで、いちいち説明し直す手間を省略していきたい。 認識論は、「信念に何を加えたら知識になるか」という問題としても把握されるが、「何をすれば信念を抱いたことになるのか」自体(志向性など)も認識論の対象になってきたのではないか