ミーム
ミームすなわち心的とみなしてる定義があったが、本にせよコンピュータ・プログラムにせよ全てのミームについて、ある人が存在して内容の全部を覚えている場合でない限り、ミームを狭義の心的状態や心的性質に限るとは言えなそう。
表現型と区別した遺伝子とのアナロジーなら設計図とかでもいいはずだし
じゃあ、コンピュータウィルスは――人間によって複製されなくても自分から増えていく点で――ミームと言っていいか?
ソースコード全部おぼえてる人いないようなソフトウェアいっぱいあるんじゃない?
ソフトウェアは遺伝子と表現型別になってるし
トークンジェネレーター自体がトークンから作られる(遺伝子、(耳コピ、リバースエンジニアリングも?))
単純ですって? とはいえ、わたくし〔引用者注:鉛筆〕の作り方を知っている人は、この地球上にはただ一人としていないのです。すごいことだと思いませんか? 特に、毎年アメリカではわたくしと同じものがおよそ15億本も生産されているのだから、なおさらです。
ミームの単純モデル
宿主にとって不利益(不適応的)なミームは、宿主が学習や進化の過程でこれを受け入れない手段を見つければ、無くなるだろうから、十分な時間があれば無くなる。たとえば治安の悪い所へ行くというミームは、治安の悪い場所で実際に殴られたときには、宿主も学習してミームを破棄する。また、自身にとって適応的なミームを学習、進化する個体がいれば、繁栄する。たとえば、いい戦略を取った会社。ゆえに、十分な時間があれば、宿主にとって利益のあるミームだけが繁栄する。
ゆえに、宿主の経済合理性を高めることが、ミーム自身の適応と一致する。
文化的ESS
同調圧力があるからそのような行動があるという説明、aの先祖がAという特徴を持ったから遺伝でaはAという特徴を持つ、というレベルの説明に対応するな。どうしてその特徴を持つやつが生き残り、子孫を残したのか?というレベルの説明に対応する説明で補完される必要がある。
それとも、ある行動Aをすることとその行動Aを他人にも推奨・評価するという行動A'のセットは、性淘汰みたいな感じで特に理由がなくても繁栄するのか?
経済合理性と似たものができるのであれば、行動経済学などで人が不合理なバイアスがかかった行動をいっぱいすることが解明されても、安定点としては合理的行動が存在する、と考えることができる?
経済合理性との関係
慣習や伝統には少なくともその行動のパターンが安定していたという特徴がある。安定を保ってきた理由はそれが良いものだったからか、そうでもないのか、はケースバイケースだが。