ヒュームの「である」と「べき」のギャップ
1) 矛盾した言明からどんな言明も(評価的なものも含めて)導ける(雪が白くて白くないなら人を全員殺すべきだ) (爆発律)
2) 記述的言明の否定(雪は白くない)は記述的言明になる
3)(雪は白くかつ白くないのような)ふたつの記述的言明の連言が評価的言明になることはない
4) 記述的言明から評価的言明は導けない
@ayu-mushi: このうち、どれかは否定しなければならないと思われる
@mugensho_dx@mstdn.jp: 少なくとも一つの記述的言明が存在するという条項も候補の一つ
矛盾は事実判断ではありえても、事実ではありえないだろうから、これは「事実判断から価値判断が導けること」の例ではあっても、「事実から価値が導けること」の例ではない
しかしトートロジーを使うと:
「雪は白い」から「人を殺してもよい、あるいは人を殺すべきでない」が導けるので「事実から価値は導けない」の反例になりそう
これは関連性論理を使えば解決できるかも
1=2から「1=2、または、人を殺すべき」を導く
「すべての人は殺してはいけない、かつジョニーは殺してもいい」から「ジョニーは人ではない」が導ける
対偶を取ると、
「ジョニーは人である」から「「すべての人は殺してはいけない、かつジョニーは殺してもいい」ということはない」が導ける。これは (指令的命題の否定は指令的とすると) ヒュームの法則の反例なのでは?
これは関連性論理でも排除できなそう?
また、ド・モルガンの法則により、
「ジョニーは人である」から「ある人は殺していい、またはジョニーを殺してはいけない」が導ける。
ヒュームの法則の反例