ダニエル・デネット「リアル・パターン」
現在のビットマップだけではなく過去のビットマップや可能なビットマップや未来のビットマップの予測も含む?
「ビットマップより短いビット数でそのビットマップを出力するプログラムが存在するならパターンがある」ってのは良いけど、「パターンがある」という存在主張と「信念」「重心」「グライダー」といった具体的な存在者の関係は何? 重心というのがその"パターン"なの? 圧縮するために使うプログラムの記号か?
素朴心理学や科学理論がプログラムにあたる?
ライフゲームの各セルをランダムに1か0かで生成したときに、ルールに従って時間発展させたものの系列を、平均的に符号語長が短くなるように符号化?
個体についてパターンがあるかを聞いているわけだから、たくさん生成して平均を取る必要はないのか
パターンっていうと、機械学習とか統計的なのが思い浮かぶけど、デネットはアルゴリズム的情報理論で考えてるのが特殊な感じ。認知を機械学習的に見るのはよくあるが、アルゴリズム的情報理論で考えるのはソロモノフ帰納推論くらいしか知らない。
パターンの実在論vs.道具主義について、
フォーダーの極めて強力な実在論
デイヴィドソンの普通の強さの実在論
デネットの穏やかな実在論
ローティの穏やかよりもっと穏やかな非実在論
穏やかよりもっと穏やか?
チャーチランドの消去的唯物論
と比較がある。
ビットマップ記述に冗長性があれば誤り訂正できるかもしれないし、冗長性がなければ誤り訂正はできない。
因果関係について
単に圧縮できるかという基準なら、圧縮可能な規則性があることの原因が何かということに触れる必要はない
For Fodor, the pattern seen through the noise by everyday folk psychologists would tell us nothing about reality, unless it, and the noise, had the following sort of explanation: what we discern from the perspective of folk psychology is the net effect of two processes: an ulterior, hidden process wherein the pattern exists quite pure, overlaid, and partially obscured by various intervening sources of noise: performance errors, observation errors, and other more or less random obstructions. He might add that the interior belief-producing process was in this respect just like the process responsible for the creation of frames A-F.
見ているものY = 背景メカニズムX +ノイズe
具体的なデータ01010101010101やそれを生成する具体的なプログラム
code:haskell
x = 0:(1:x)
main = do
print $ take x 14
を出して話を再構成したい
「交互」という言葉
自閉症とリアルパターン
And yet there are clear signs that other autism risk genes are associated with intelligence, and some of these are even positively selected. My guess is that these involve a tradeoff. I don't know exactly what this tradeoff is, but I tend to go with Lawson, Rees, and Friston’s speculation that autistic brains think with higher precision. This lets them think more precisely when that would be useful, but it also means they're constantly getting false negatives (ie not recognizing a person's face if the shadows on it are slightly different), constantly having their attention hijacked by minor stimuli that the rest of us would ignore (sensitivities to stimuli very slightly different from expected stimuli, like the dripping of water or the feeling of the tag on their shirt), and constantly getting confused by minimal deviations from routine. And although it's less obvious, some people have speculated that this makes it harder to do the sort of intuitive categorization work that lets you draw conclusions from social situations. フリストンは、自由エネルギー原理、予測符号化の主唱者
自閉症はシグナルであるものをノイズとしてしまい、統合失調症はノイズにシグナルを見てしまう (自閉症はシグナルを誤って見てしまうことを避け、統合失調症はシグナルを見逃す誤りを避けるというふうにトレードオフを取っている) という説。
自閉症者はより精密な認知をするが、顔に影があたったりすると同じ人だと認識できなかったり、少し予想と違う刺激に注意が囚われたり、ルーチンからの小さなズレに混乱したりする。
これと同じ仕組みが社会状況から直感的なカテゴリー化を行うことを妨げているという推測があるそうだ。
もし心というパターンが (デネットが言うように) ある程度のノイズを許容することで初めて認識できるパターンだとすれば、これは自閉症者が心の理論に長けていないことと合致した結論だ。
Would we prefer an extremely compact pattern description with a high noise ratio or a less compact pattern description with a lower noise ratio? p.36
Consider the likely effoct thes santince wull hive hod on tha cupy adutor whu preparis thas monescrupt fur prunteng. p.35
社会関係にもノイズを許容しないと見えないパターンがあるのかもしれない (候補: 「内集団」、「力関係」)。ISISに志願した北大生は、重度の自閉症の末路かには、定型発達者は社会関係において見えないものを見ており、それには抽象概念なども含まれるというような話がある。それがノイズ許容的カテゴリー化だとすればこの話と整合する。 個人についての話はよく分からないが、ラバーハンド錯覚に自閉症の人はなりにくいのは自己の感覚と関係する。
パターンを押し付けること(ノイズ許容が多い場合、無理やりになることを強制に喩えることができる)
邪視者