オシツオサレツ
ミリカンの用語
is と ought を同時に行い、区別がない表象。
is と ought が分かれた表象が、ここから分化して発生するのだとされる。
厚い概念。
ダメットの「ボッシュ」なども似たようなものかもしれない ミリカンは、"king","woman"などもオシツオサレツ表象だという。
おそらく、自然言語ではある語がオシツオサレツ表象かどうかというのは、理論語と観察語の区別のようなもので、確定はされないだろうと思う(「窃盗」は単に規定を満たすものの意味かもしれないし、法によって裁かれるべきという意味もあるのかもしれない)。
意見が違う人が話しているうちに、分化してくるかもしれない。
「人間」とかだったら情動だけじゃなくて法的な役割もあるだろう
クワイン「信念のウェブ」における位置
例えば次の推論に直面した女性がいるとする一一(1)人間の命を奪う者は誰でもすべきでないことをしているo)その母は子官内の胎児の生命を奪った(3)人間の子官の中の生きた胎児 はすべて人間である14)その母は人間の生命を奪った(5)その母はすべきでないことをした。 この(5)の結論の否定を「頑強な感情」ゆえに正当化しようとして、例えば(3)の事実的前提を 否定するのは、理論に合わない現象に直面した化学者が「頑強な感覚経験」に依拠するのと 類比的な、ホーリスティックな信念改訂である (木島泰三)"「倫理学の自然化」をめぐって―クワインとフラナガンを中心に" 脚注9 (p. 70) クワイン「頑強な感覚経験」が「「頑強な感情」」になってるのでヤバい人みたいに見えてしまう
なんで胎児を殺したい方に頑強な感情を覚えるんだよ…っていう
あとその改訂って他の部分で不整合いっぱい出るアドホックな訂正なかんじもする
法的擬制はアドホック?
記述的な概念と評価的な概念とが未分化な人を「オシツオサレツアニマル」っていう悪口よさそう
事柄についての評価が同じような人同士で、変化の少ない環境でローカルに話しているときだけ、レッテルとかオシツオサレツ表象だけで話が通じる
Non central fallacy
cryptonormativism
クラスに「熟成」とか「成熟」「病気」「健全」、「発展」「本来」とか厚い概念を使いまくるやつが居て、オシツオサレツ動物って呼ばれてる
事実から規範を導ける体系をオシツオサレツ倫理と呼ぶのはどうか