イアン・ハッキング『知の歴史学』
それとも、「意図的な行為を意図的な行為たらしめている意図は、言語(特に意図に関する記述)の存在によってつくりだされているもので、その限りで前者の存在は後者の存在に形而上学的に依存する」というような意味でしょうか。だとすると、まずアンスコムは(彼女の師ヴィトゲンシュタインと同じく)このような形而上学的的な表現は嫌ったでしょう。さらに、ここに表れているのはある種の言語的観念論とでも呼べるような考えでしょうが、これはアンスコムの考えからは帰結しませんし、彼女はこのような考えははっきり棄却すると思います。
というのも、単純に、ある行為が記述されない(黙って行われ、誰もそれについて何も言わない、等々)からといって、それは意図的でないとはいえないからです(もっといえば、意図的でもそうでないのでもない、とも言えません)。たとえばアンスコムの見方では、言語をもたない、つまり物事を記述の下で解さない人間以外の動物も意図的に行為します(人間が存在してもしなくても同じです)。彼女の言い方では、これらの動物は意図的な行為はするが、意図を表現することはないのです。(ちなみ僕はこの言い方には反対ですが、それはまた別のお話…。)https://ask.fm/yuuki_with2us/answers/122516359755 ある記述のもとで意図的というのは単に内包性を持ち出すためのものだろう(つまり反事実的な条件化ではこうしなかっただろうというような)
Despite the fact that such personal accounts of lucid dreams have been described for centuries, the topic faced skepticism from some scientists and philosophers (e.g., Malcolm, 1959), in part due to the lack of objective evidence for the phenomenon. This began to change in the late 1970s and early 1980s, however, with the first validation of lucid dreaming as an objectively verifiable phenomenon occurring during rapid eye movement (REM) sleep. Building on prior research that showed that shifts in the direction of gaze within a dream can be accompanied by corresponding movements of the sleeper’s eyes (Dement and Wolpert, 1958), lucid dreamers were asked to move their eyes in a distinct pre-agreed upon sequence (full-scale up-down or left-right movements) as soon as they became lucid (Hearne, 1978; LaBerge et al., 1981c).
"「なにこれ?」に対して現地語で「わからん」と答えた結果「ワカラン」が名称だと勘違いされたモノというのが世の中にいっぱいあるが、調べてみるとほとんどが「明確な根拠のない俗説」らしい(カンガルーとか)
…
そんな中でモルゲッソヨは明確な出典がある数少ない例だぞ"