独我論と「幻角痛」
幻肢痛のようなものにも限界があるはずで、全く永遠に角が存在しない世界の動物が角の痛みを感じることはないだろう。いや正確には非常に難しいというだけか?どこで痛みが生じたかについての非常に詳細な情報を脳が扱えるようになっていたら (汎用痛み記述形式のようなものが存在したとして) 違う?
独我論は「角が永遠に全く存在しない世界の生物も幻角痛を感じうる」ということを帰結するように思われる
(自分以外居ないし身体も無いが、感覚はあり、どういう感覚か分かるという想定なので。
たとえば独我論の想定では全く足というものは存在しないが、足の痛みを感じることがある。これは幻肢痛であるが、永劫存在しないものの痛みという意味では、幻角痛に近い)
「永遠に全く回避などの行動と結びつかない感覚」を「痛み」と言っていいかは微妙なので、何も存在しない世界で「足の痛みを感じた」と言っても、その感覚は本当は足と特に関係あるわけでもなければ「痛み」でもないことにならないだろうか。
組み立て型で色々な生物の体に組み合わせられる脳モジュールがあったら、実際には存在しないが仕様上記述可能な器官についての偽信号を送って幻角痛のようなものを生じさせることはできるかもしれない?
(手、角、足、腎臓、胃などを組み合わせて、脳に接続し、君だけの生物を作るという趣旨)
胃が痛むという人を聞いたことがある。私はお腹が痛くても胃なのか腸なのかとかはよくわからないが、分からなくても胃の痛みを感じているの?痛み自体の位置は分かるから感じてる?
行動も汎用で記述できる形式があって上で言ったような組み立て式の脳に偽信号を入力できたら、永遠に全く回避行動というものの無かった世界でも記述によって痛みを生成できる?
私はたまに、本当の虫が出てるときにはたこうと思ったが、飛蚊症のモヤモヤと本物の虫の区別がわからなくなって、見当違いな位置を叩いたりする。
このように、知覚は物が特定の位置にあるという知覚として経験され、正しかったり正しくなかったりする。