情報収集のバイアス
自分が読んでいるもののパターンを世界そのもののパターンだと思ってしまう間違い。
たとえば、常識に対して反論する記事を多く読んでいる。常識に賛成する記事をわざわざ書かないのは、べつに正しい常識が少ないからじゃなく、みんなしってることをわざわざ言ってもあんま有益じゃないからというだけだったりする。
しかし、なんとなく脳内の確率的なパターンを検知する脳力により、常識は間違っているものだという印象が自然とできて行くかもしれない。(「世間一般的には〜と思われている。しかし〜」という文は世間に多い。しかし、そのような文の多さから推論されるような「世間一般の考えは間違っている」という一般化が、世界そのものの確率分布を反映しているわけではない。)
他にも、自分と異なる立場を批判することは多い。
反論→再反論の応報の一方側の立場の視点のみを追ってしまうことが自分にはよくあるけど、これはバイアスを持ち込む。人は自分の劇場では自分が勝ってるように演出することができるので、あんま強くなくても議論に強いように見える。
自分が読んでいるもののバイアスはなにか?
Twitter/Xのバイアスは?
暇人が多い (というか活動的)。
理論上、人がコメントしたくなることは論争的な話題なので、論争的な話題が多くなりそう
最近の出来事に関する話題が多い
ブログのバイアスは?
論文のバイアスは?
YouTubeのバイアスは?
ここでテレビや新聞を読む人ならテレビ・新聞について考えてもいいところだけど、自分は読まないので、自分が読むものについて考えることにする。
シニカルに、Twitter/Xの人は、いいね/リポスト/フォロワー数を最大化するために行動しているとモデル化する。
科学者は引用数を最大化するために行動してる。
YouTuberは再生数を最大化するために行動してる。