国葬は国家による葬式である
徴税、土地収用は国家による強盗である
徴兵制、懲役刑は国家による奴隷制 (強制労働) である
戦争は国家による大量殺人である
死刑は国家による殺人である
禁固刑は国家による誘拐、監禁である
家宅捜索は国家による住居侵入である
法律は国家による脅迫である
政府にはふつうの人や団体と同じ社会規範が適用されない場合があるが、これは正当化できるのか。
(行為) 功利主義によれば、一見公の利益にかなう場合でも、(「人を殺すべきでない」というような) 社会規範をいったん破ると、真似する人が出たり、社会規範への尊重を損なうので、そういう損失を利益が上回らない場合が多い。
(これは功利主義と常識の辻褄を合わせるための後付けの理屈付けにすぎないのかもしれないけれど)
しかし、死刑執行を見て、「ウォオオオオオかっこいい!!自分も真似して正義のためと称した殺人するぞウォオオッッ!!!」となる模倣犯はあまりいないので、そのような通常の社会規範への遵守を支持する論法が適用されない。(ただし、国家がなにかをしたら、別の政治的勢力が権力を握ったときも同じようなことをするかもしれない、とは言える。)
なので、「徴税を擁護するためには義賊も擁護しなければならない」というわけでは必ずしもないだろう (上の議論だけだと、誰にも気づかれないでやるなら義賊もいいことになりそうだけれど)。
もちろん、上のようなことを言う人はそもそも功利主義者ではなく、強盗や大量殺人をその帰結に関わらず不正だと考えているのだろうから、このことを気にしないだろうけれど。
規則功利主義の場合には、(規則に例外条項を付け加えることを嫌った場合) もしかしたらアナーキズムを含意するかもしれない。
逆に、あんま好き勝手例外を付け加えられるなら、行為功利主義と大差なくなる
「「他人の所有する物を盗まない」はみんなに従われるときに幸福が最大化になるルールだ。この「みんな」として適当に例外を作るわけにはいかないので、「みんな」には政府も含まれる。よって、徴税は不正である。」
ちょうど、会社を個々の人々の契約の束として、還元主義的にみることができるように。「いるのは個々の政治家や公務員であって、政府なるものは存在しない」
「他人の所有する物を盗むべきでない」ではなく、「他人の所有する物をかくかくの手続きを経ずに盗むべきでない」が真のルールで、その手続きを政府と呼んでいる(??)
警察官が逮捕をするのは、通常の「人を勝手に拘束してはいけない」という規則に対する例外を定める規則に基づくものであり、警察官が特別な種類の人間だからではない。
規則功利主義における、規則は人々に受け入れられるものでなければならない (ルールに例外を作れるとしても、なんの制約もなく例外を作れるわけではない) という立場からすれば、ルールから国家を例外にするのは、人々はすでに受け入れている以上、当然 受け入れ可能なので、問題がない