中間団体と自由
#政治哲学 #自由 #リバタリアニズム
Arnold Kling "Libertarians and Group Norms - Econlib"
自由主義思想の中での、政府の強制力を背景としない集団の規範・圧力の位置づけ
社会的圧力に好意的: トクヴィル、アダム・スミス、ハイエク
社会的圧力を自由の侵害として見る: J.S.ミル、アイン・ランド
(脱線: Bryan Caplan "Rand vs. Evolutionary Psychology: Part 2 - Econlib"
アイン・ランドは、同調性が進化した人間の本能の一つだということを見逃しているという指摘
社会規範関連: ヒース&ポッター『反逆の神話』、ピンカー『暴力の人類史』に引かれてるノルベルト・エリアス『文明化の過程』(読んでない)、ジョセフ・ヘンリック(読んでない)、Joseph Heath "The violence inherent in the system"(面白いよ!))
Archipelago and Atomic Communitarianism | Slate Star Codex はトクヴィル (知らない) のような自発的なアソシエーションを重視する考え?
Jacob T. Levy "LIBERALISM’S DIVIDE, AFTER SOCIALISM AND BEFORE" (via: Jacob Levy’s “Liberalism’s Divide” | Entitled to an Opinion)
読んでない
しかし、リベラリズムには、おそらく 1 世紀半の間は隠されていたが、再び顕著になりつつある古い分裂がある。
この分裂の一方には、中央政府に敵対し、地方、慣習、自発的、または中間的な団体、コミュニティ、および協会に友好的な多元主義的リベラリズムがある。他方には、知的進歩、普遍主義、および統一された法律の下での平等に尽力し、恣意的で非合理的な区別や不平等に反対し、宗教および民族グループ、家族、プランテーション、封建制度、および地方の田舎における地元の専制政治を打破しようと決意している合理主義的リベラリズムがある。
(DeepL)
よく知らないけど、rationalist liberalism は ハイエクがフランス的な設計主義・合理主義的リベラルって言ってるやつでは
Sammuel Hammond は pluralist 側らしい (でもこれはハイエク由来の、進化的/設計的の区別であって、Levyの中間団体軸の話とは別では?)。Hammond は J.S. ミルを rationalist liberaism として位置づけてる。
Deflationary Liberalism - by Samuel Hammond - Second Best
集団の間の交渉・妥協の結果として得られるリベラリズム (啓蒙思想家が頭で考えたものとしてのリベラリズムではなく、現実に集団がやり取りする中で生まれたと考えるボトムアップな説明)。例: 30年戦争でプロテスタントとカトリックが争った後に、妥協としてリベラリズムが生まれた
Jacob T. Levy Rationalism, Pluralism, and Freedom
中間団体 (自発的な団体、教会、民族文化団体、大学など) は、個人の自由を守ることも脅かすこともできます。同じことは、中央集権化された国家がそのような集団に対して行う行動にも当てはまります。幅広い分野を網羅したこの本は、規範的にも歴史的にも、自由主義的な政治思想は、中間集団と地方集団の権力に対する合理主義的な疑念と、中間集団の生活に好意的で、中央集権化された国家に対する疑念の大部分を保持する多元主義との間の深い緊張関係に基づいていると主張しています。
読んでない
John Holbo "Libertarianism, Property Rights and Self-Ownership — Crooked Timber"
John Holbo "If those women were really oppressed, someone would have tended to have freed them by then. — Crooked Timber"
Stephanie Slade "Must Libertarians Care About More Than the State?", Reason
読んでない
現代民主主義論 – 独学ノート
thick libertarian vs. thin libertarian 区別
Thick Moralities, Thin Politicsと関係ある?
理性による設計 vs. 受け継がれてきた慣習、中央vs.地方、物理力による自由の制限vs. 無形の力による自由の制限 を混ぜた概念を作る意味って??
政府は物理力を用いて強制する傾向にある。中間団体は白い目で見るとか、村八分のような社会的制裁に頼る傾向にある。
体罰は慣習的だけど物理力ですね。奴隷を鞭で打つのやリンチ、ポグロム、戸塚ヨットスクールなどは地方分権的な力だけど物理力ですね。メートル法や国際標準化機構 - Wikipediaは設計主義的なデ・ジュレなもので中央集権的だけど物理力が背景にあるわけじゃないですね。
暴力の独占が行われている状況では、「中央ではない、かつ物理力を使う」という象限は何も入らないはずなので、両者の概念が同一視されることになる
地方政府も物理力を使用するので、これにも例外がある
政府のほうが現場の蓄積とかより頭で考えたルールを作って、中間団体のほうが慣習的・暗黙的なルールに依拠する傾向がある。これは割と普遍的な傾向じゃないかな。慣習法とかは政府かつ慣習的だし、あなたがロジバンで話す会に所属しているなら中間団体かつ合理主義的だが。
イメージ:
分権主義者: プロチョイス(特に胎児が道徳的に重要だとしても中絶の自由を認めるというタイプのそれ)、リプロダクティブ・ライツ、反帝国主義、多文化主義、非介入主義、アメリカ南北戦争における南部連合、地方分権、封建制、奴隷制、ホームスクーリングの自由、親権、家庭を私的領域とし不介入とすること、親族相盗例、James Scott Seeing Like A State、パレオリバタリアン、自治、プラットフォーマーが気に食わない表現を検閲する権利、会社が特定の意見を持つ人を雇わない/解雇する自由、freedom of association、村八分、Hans Hermann Hoppe、fediverse、Nick Szabo
民事不介入 - Wikipedia
とにもかくにも分権っていうのではなく、内部が民主的 / 逃げられる場合は分権っていう立場もあるんでは
内部が民主的でなく、逃げられもしないのに不介入にすべきっていうのは、単に争いを防ごうという妥協以外には、意味がない気がするね。権利者が決まっていないとレントシーキングが起こるので、とりあえず適当に今までの権利を尊重しとこうという理由。(これは今までそうであって権力配置を尊重する理由であっても、分権的である理由ではない。今までが分権的なら、今後もそうなるにすぎない。)
あと「民主的でもなく、逃げられもしないが、定住型盗賊的な理由により権力と被治者のインセンティブを一致させるために、主権や所有権や封建的支配や親権などの権利を (外部に対して?) 認めるべきだ」か
これも分権とはそこまで関係ない。
Chapter 2: Why Carlyle Matters | Moldbug on Carlyle | Unqualified Reservations by Mencius Moldbug
あるいは、権利をとりあえず決めておけば、そのあとは取引でいい感じになるという擁護もある (北部は南部と戦うのではなく、奴隷を買って解放すればいいという)
これも (略)
共産主義者が共産主義以外の国に侵攻し、自由民主主義者は自由民主主義以外の国に侵攻するとお互いに損なので、政策の内容に中立的な (あるいは争点ではないような) 国際規範が必要になる場合。「分権」は中立的な基準になりうる (もっとも、分権的だと高所得者にとって逃げやすいから、実は中立ではないのだ、というツッコミがありえる)。
Libertarianism As Deep Multiculturalism - by Robin Hanson
ジョセフ・ヒース「リバタリアンと社会保守主義の奇妙な結託:性教育反対運動を巡る社会保守主義のパラドクス」(2015年9月15日) – 経済学101
介入主義・普遍主義的リベラル: ネオコン、フランス革命、アメリカ南北戦争における北部連合、ナポレオンによる各侵略地域への自由主義的な法律の普及、伝統や宗教による抑圧的な習慣 への外部の人からの批判と政府の介入、「労働者の個人的な思想を理由に解雇できない」と政府が義務付けること、「学校内の暴行・窃盗も国の法律で裁け。学校に警察を入れろ。」
ナポレオン: Daron Acemoglu, Davide Cantoni, Simon Johnson & James A. Robinson "The Consequences of Radical Reform: The French Revolution | NBER"
How The West Was Won | Slate Star Codex 中国共産党によるチベットの「解放」
中間団体も自由の侵害をしうる、と認めるからといって、それに対する中央政府による介入を肯定するかはまた別の論点だけど
Scott Alexander "More Antifragile, Diversity Libertarianism, And Corporate Censorship"
これをどっちに位置づけるかは微妙ですね
自由の概念を「直接力による制限の無さ」ではなく、もっと無形の力を含み、同調圧力とかも、それがヘゲモニーを確立する場合には自由の制限の一種と見る。この点では普遍主義的とされるJ. S. ミルに近い。一方、選択肢が増える限りでは分権を肯定する。
アンチトラスト
イオンが田舎の個人事業主を淘汰するのはどうなの。保護貿易は。
親同士が、お互いの家庭に干渉しないことは、大人同士の言い争いを防ぐ上で有用な社会契約になりうる。しかし、それは強国だけで会議する国連安全保障理事会とか、ヨーロッパの国々だけのコンゴ・ベルリン会議 (アフリカを分割するやつ) のような社会契約であって、子供は契約の主体とはみなされていない。
カーティス・ヤーヴィンは、イギリスの植民地主義に肯定的なことと、政府機関の独立性に否定的なこと、また彼の批判するジャーナリズムとアカデミアによる政府への影響もある意味では分権的な権力と考えられることを除けば、分権主義的
ヤーヴィンはハプスブルクvs.東欧のナショナリズム、オスマン帝国vs.ギリシャのナショナリズム とかでも帝国側に与しがちな気がするけど、これは普遍主義とは違うかも (単に古い君主制が好きなだけ)
ハプスブルク帝国が東欧の封建的な秩序を解体して農民に自由を与えた点で、リベラルがオーストリア帝国側に好意的でナショナリズムに否定的、みたいな話はあるらしい Comments - Deflationary Liberalism - by Samuel Hammond
(植民地主義でも、直接支配でなかったり、宗主国の影響が小さかったりする場合 (本国ではなく東インド会社が治めているとか、現地の首長に権限を与えてるとか) なら、分権的でもありえるかも)
さらに言えば、ヤーヴィンは旧植民地は現在でも先進国に依存しており、真の意味で独立していないと思っているわけなので、彼の中では、植民地主義と脱植民地化を集権と分権の軸で比較することはできないはずだけど
政府内部での権力の分立を批判するけど、地理的な単位ごとの分割や、家庭ごとの自主性には好意的
「政府機関の独立性に否定的なこと、また彼の批判するジャーナリズムとアカデミアによる政府への影響もある意味では分権的な権力と考えられる」→そんなことを言ったら民主集中制も分権的なのではないか
まあある意味では民主集中制も権力の分立はあるんじゃないかな…
暴力 (自己所有権侵害) ではないサンクション: 村八分、社会的制裁、解雇、デプラットフォーミング、ボイコット、怒鳴る
表情や目線などによるサンクションも社会規範に維持に重要っぽい
https://twitter.com/adamgurri/status/1573386033034629121
ある種の行為をしたときにサンクションされるという脅しに基づいているという意味では、広い意味で国家の強制力と同種のものと見ることができる
それらのサンクションは、規範を履行するという文脈以外で、いきなりやったら、それ自体が規範に反してしまうようなものでもある、という共通点もあるものもある (不買という行動はそういう行動ではないけれど)
もっとも、トーマス・シェリングの〈強制/強要〉区別にあるように、すべての自由侵害がこの形式をしているわけではないでしょうけど
通常の経済学の外部効果の分析が当てはまるわけではないけど、表情や言動によるサンクションは負の外部効果の一種
通常の外部効果の分析が当てはまらないのは、それらの行為が規範の維持を目的としているということは、経済学での単に利益を上げるために副次的に外部効果が発生するという話とそぐわないから
まあサンクション主体が規範の維持を選好してて、される方は規範に従う行動をしたくないがサンクションされることを嫌っていてそっちが勝っている、サンクションされる方が適切な補償をサンクション主体に行うことでサンクションやめさせる契約がwin-winになるなら契約 起こるし、そうでないならサンクションしたままでいい、みたいなふうに取引コストの枠組みで考えることもできる…のかな?
Unenumerated: The Coase Theorem is false: contracts depend on tort law
脅しにはコミットメントが必要
リバタリアン (後にリバタリアンではないとも言ってるけど) のWill Wilkinsonが、「キャンセルカルチャーのような社会的制裁は、我々が国家を頼らずに規範を維持するのに有益」みたいなことを言ってた気がする
Wilkinson は国家だけではなく性差別や人種差別といった自由な行為の集積も自由への脅威でありうるという立場をとってるので緊張関係がある (性差別や人種差別が自由への脅威になりうるなら、キャンセルカルチャーも自由への脅威になりうるのではないか)(自由の制限ではあるけどトータルで見れば自由が増えると思っているのかもね)
あるいは途中で考えを変えたのかも
I used to think that if negative rights to non-interference were trictly observed, liberty was guaranteed, but I don’t now. Here’s how I had thought about the matter. One racist acting in a private capacity on his or her racist beliefs can’t violate anyone’s legitimate, negative rights. (No one is entitled to another’s good opinion!) Two racists acting as private citizens on their racist beliefs can’t violate anyone’s rights. Therefore, I inferred, thousands or millions of racists acting non-coercively on their racist beliefs can’t coercively violate anyone’s rights. I now think this is quite wrongheaded.
Eventually I realised that actions that are individually non-coercive can add up to stable patterns of behaviour that are systematically or structurally coercive, depriving some individuals of their rightful liberty. In fact, rights-violating structures or patterns of behaviour are excellent examples of Hayekian spontaneous orders–of phenomena that are the product of human action, but not of human design. This shift has led me to see racism and sexism themselves as threats to liberty. Racism and sexism have come to matter more to me in that I have come to see them in terms of the political value that matters most to me: liberty.
Eubulides, Wilkinson, and Discrimination - by Bryan Caplan
個々の自由な行為の集積が結果として自由を抑圧することがある
ストーカー行為は個々で見れば自由な行為でも結果としては危害を構成する
The thing to keep in mind here is that most PC episodes mocked and derided by the right are not state impositions. They are generally episodes of the voluntary social enforcement of relatively newly established moral/cultural norms. Sometimes this process squelches or chills honest discussion and inquiry. I feel that way about the Larry Summers flap. But such mechanisms of indignation and shaming are precisely how societies coordinate on and defend norms of civilization without resorting to force.
Make that Two Cheers for PC – The Fly Bottle
One of the embarrassments of the American libertarian movement is its failure to sufficiently acknowledge how collective bias against blacks, women, gays, immigrants etc. deprives blacks, women, gays, immigrants, etc. of their freedom. To my mind, serious forms of structural discrimination are much worse for liberty than certain kinds of coercion.
Ron Paul: Good for "the Blacks"? – The Fly Bottle
In a covenant…among proprietor and community tenants for the purpose of protecting their private property, no such thing as a right to free (unlimited) speech exists, not even to unlimited speech on one’s own tenant-property〔??!〕. One may say innumerable things and promote almost any idea under the sun, but naturally no one is permitted to advocate ideas contrary to the very covenant of preserving and protecting private property, such as democracy and communism. There can be no tolerance toward democrats and communists in a libertarian social order. They will have to be physically separated and removed from society. (by Hans-Hermann Hoppe)
Physical Removal / Physically Removed, So to Speak | Know Your Meme
My point is that Thomas’ firing is a perfect example of how libertarianism should work. The state did not intervene to pass a law that prevented news agencies from employing people with idiotic opinions. Ms Thomas was not thrown in jail. She was expelled by public opinion. Justly so.
It’s instructive to compare this episode with Rand Paul’s comments on the Civil Rights Act. Many libertarians (including some at Reason) sided against Paul. Of course, Dr Paul’s preferred method of ending segregation in the South was the same method that was just used to end Ms Thomas’ career. Thus, combining these two episodes, we see certain authors at Reason siding in favor of state solutions to "problems" and against private solutions to "problems." Libertarian my ass.
The problem with mainstream libertarianism | Foseti
ネットワーク中立性
Scott Alexander "More Antifragile, Diversity Libertarianism, And Corporate Censorship"
Libertarianism As Deep Multiculturalism - by Robin Hanson
Taleb has said "I am, at the Fed level, libertarian; at the state level, Republican; at the local level, Democrat; and at the family and friends level, a socialist. If that saying doesn’t convince you of the fatuousness of left vs. right labels, nothing will."
Comments - More Antifragile, Diversity Libertarianism, And Corporate Censorship
離脱コスト
離脱コストによって自由への侵害度を測るというのはどうかな。(exit costの概念はたしかNick Szaboが言及してた: Unenumerated: Microkernel government)
この基準だと、小さな地方自治体は大した脅威ではないけれど、家族は自由への脅威になりうる。
自由のためには家出を支援するウェブサービスを作るべきだ!
Nick Hadsellや @amntksr 氏が親権と子供の自由の話してる
related: parental licensing
自分が家出するのと、家族で引っ越しするのの、どちらがコストが低いかを比べる
むかし、「中央政府→都道府県→市区町村となるに従って強制からの逃げやすさが増えて自由への脅威が低くなる。つまり小さい方は自由への脅威になりずらい。だから家族も自由への脅威になりづらい」みたいな考えをしたことがあったけど、これは嘘で、大きさ・構成人数と自由への脅威度が相関するわけではないし、家出はそんなにかんたんなことではない。
国より自治体のほうが離脱が用意なのは、政治的境界や言語の壁があるからで、地理的・人数的な小ささと完全に対応するわけではない
先生は生徒の人数が増えるほど権威主義的になるみたいな説はある
学校のいじめに対し警察を呼ぶのはどうか
転校の容易さに応じて、外部からの介入の是非の判断を変える
たぶん子供自身の判断が転校の決定に反映されるのは容易ではない
学校のいじめに対して警察を介入させればいいって言う立場の人って警察を入れれば法律に基づいたシステムになると素朴に仮定してる気がするけど警察が法律を根拠に行動するという謎の仮定があり信用ならない
Next Door In Nodrumia | Slate Star Codex を読めばよかった。自分の考えてたこと+αが書いてあった。
離脱コストだけでなく、ルールが公開されており嫌な人が避けるのがかんたんになっているかっていうのも重要
(集合的意思決定が民主的という仮定のもとで) 意思決定に自分が関われる度合いは構成人数が少ないほど上がるのでそれを自由への脅威度の低さと関係させる議論はできるかもしれない (exitではなくvoiceの観点)
その団体へのその個人の選好の反映されやすさ
「学校に公的支出するより、公教育をやめて児童手当 (正確にはアメリカのEducation Saving Accountsという教育資金口座) に全部突っ込む方がいい。義務教育反対!ホームスクーリングの自由を認めよ!」というリバタリアン (Richard Hanania "The Old School Reformer's Case for Privatizing Education") に対し、家庭内の権力の差異から、必ずしも政府から家庭に意思決定の場を移すことが子供の自由を増すわけではない というのはもっともな反論です
しかし、いくら権力の差があっても、たとえば子供の持つ家庭内の権力が10%とか1%とかでも、子供が政府に対して持つ権力 (= 0%) に比べれば大きいし、何なら大人が政府に対して持つ一票の力より大きい
このように、家庭内の権力差を考慮に入れた自由 (ここでの自由はその人に関する決定にその人の意思がどれくらい反映されるかという点から捉える) の観点からも、政府から家庭に意思決定を移すことは正当化されるかもしれません。
自由とは関係ない話だけど: もし社会設計で善意を仮定しない理由が人間が本質的に利己的だからではなく、利他心は周りの人には及ぶけど遠くには及ばない力だからとするなら、家族間での利他心を仮定することはべつに問題がないと考えられるかもしれない
参照: アダム・スミス
「通学時間の長さから来るコストを子供は負担するが親は負担しないので、通学時間に応じて親に課税すべきだ」(?)
改宗を禁じている宗教は自由への脅威度が高いと言えるかも?
仕事を変えるのは、それなりにコストがありそう。
応報主義:
集団の同調圧力には集団の同調圧力で対抗 (同調圧力に反対する同調圧力?)。暴力には暴力で対抗 (警察)。不合理性を利用したマニピュレーションには不合理性を利用したマニピュレーションで対抗 (ナッジ・パターナリズム)。キャンセルカルチャーにはキャンセルカルチャーを
自分がしてることを他人にされても文句が言えない。
『リバタリアニズム読本』:
中間団体に関して、リバタリアンは加入の自由と離脱の自由を重視するという記述があったと思う
離脱の自由と加入の自由というときの自由がどういう意味での自由かが論点になりそう (消極的自由なのか?)
一方、私が↑で言った案では、離脱の自由 ではなく コストの低さ を問題にしている
親権はたしか居住地を指定する権利を含んでいるので、離脱する消極的自由すらない
居所指定権(821条)
これは狭義の強制力の使用を含んでるの?
Richard Hanania "Organized Labor Requires Government Coercion"
現状存在するような形の労働組合は消極的自由と相性が悪いという話
消極的自由の場合: 強制からの自由としたときの、「強制」は、「○○したときサンクションされる」ということだけど、そのサンクションとして何が含まれるかによる。もちろんサンクションの主体も異なる。
自己所有権の場合: 暴力の独占がなされている社会では自己所有権を侵害する主体は国家以外だとそこまでいないけど、体罰などは自己所有権の侵害に当たる (ただし自己所有権リバタリアンは (子供が他人に暴力をふるった場合など) 応報の場合には体罰を認めるかもしれない。その場合は、逆に誰の権利も侵害していないのに体罰されたら応報で子供が親を殴り返すことも認めるだろうけど。)
I used to be a fundamentalist Christian (I discussed that here), but even then I didn’t care much about abortion. I still consider it murder, but figure that “murder happens” to paraphrase the profane saying. I used to describe myself as “weakly pro-life”, but I’ve been drifting towards the pro-choice camp, even extending towards infanticide. I’ve ceased to be concerned as much with individual rights (not surprising given that I don’t believe in them) that some sort of platonically ideal rights-enforcing authority will ensure, and more with taking decentralization as far as it can (I don’t trust any authority to look after my interests and the larger/more powerful it is the more frightened I am of it) and contractarian based rules. If I am not willing to invade Iraq to stop Saddam from gassing Kurds, it’s just a few (admittedly large) steps away from declining to kick open Andrea Yates’ door if she wants to drown her toddlers.
Rhymes with “shmashmortion” | Entitled to an Opinion
Be grateful diversity reduces trust | Entitled to an Opinion
ローカリズムと脱中央集権化を支持する側のはずのTGGP氏が、多様性によって信頼が低下するという研究について、それにより血縁・地縁のようなインフォーマルな組織ではなく市場と国家のような非属人的な制度の力が増すことを肯定的に見ている (??)
Jacob Levy’s “Liberalism’s Divide” | Entitled to an OpinionではTGGP氏は自分は pluralist 陣営のパルチザンだって言ってる
4. Some societies, such as in East Asia, use the family to pick up a greater share of income and health risks. I doubt if the highly mobile United States could do the same, but even so this option is costly. Most of all, the welfare state liberates the productive and the creative from their sometimes burdensome family ties. The welfare state is the Randian’s secret dream, and that is what clinches the case for a government safety net.
Safety nets - Marginal REVOLUTION
…第八章「ポスト工業社会への移行ーー福祉国家3.0へ」では「自由に個性を表現する個人主義的なライフスタイルは、家族に対する依存を減らす福祉国家があってこそ成立する」と指摘されているところがおもしろかった。
なくてはならない福祉国家(読書メモ:『福祉国家 救貧法の時代からポスト工業社会へ』) - 道徳的動物日記
これはハンス・ハーマン・ホップが言ってることと同じだ (彼は真のリバタリアン社会ではLGBTなどのライフスタイルは淘汰されると言ってる)
Political Economy
このヘアカットの条例は、もともと都の管轄だったのが
地方分権の流れで、区におりてきたものです。
区におりてくると、こうして声の大きい人たち(既存の理容団体など)
の声が通りやすくなって(地元密着になっていくから)、
こういう独自の条例(規制)をつくってしまう。
そうすると、結果的に、地方分権が進むと、
規制緩和と逆行する利権型の政治になる可能性が大きいなあ、
ということを実感しました。
若者を殺すのは誰か?(前の続き) | AI's eye(港区長 清家愛)
地域単位の権力分散を行うと NIMBYが強くなるのでは?
For many YIMBYs, the solution is to move regulatory authority up to regional, state, or national levels. While I’m tempted to agree, I’m worried about losing low-regulation outliers like (most of) Texas.
NIMBYs, NIMBYs, Everywhere... - by Bryan Caplan - Bet On It
https://gyazo.com/7636c9f010efc5864a17a656382a8477
from My California Ballot | Slate Star Codex
マンサー・オルソン: 業界団体は供給を絞って価格を上げるために規制を増やしたがることがある。様々な中間団体の合意によるマディソン的民主主義は自由な社会にはならない。