ダニエル・C. デネット『「志向姿勢」の哲学―人は人の行動を読めるのか?』
ayu-mushi.iconが私のコメント
哲学用語の訳が標準的でないところがある
2 本物の信念者―志向戦略はなぜ有効か?
ayu-mushi.iconデネットは火星人が自分自身については志向姿勢を取るということは必須というけど、本当?
(自分を物理的に見る以外に) 自己意識能力がないが優れた知性を持った知性体というのは存在し得ないのか?
温度が寒いとボイラーをONにするサーモスタットに信念・欲求を帰属する場合、温度やボイラーのon/offの部分を別の物につないでしまえば、タンクの水量、車の速度や、操作を表すようにしてしまうことができる
→サーモスタットは、「部屋が寒すぎる」「ボイラーをONにしよう」と思っているというより、「AがFすぎる」「JをWにしよう」などと思っている
しかし色々なルートから温度を知るようになれば、FやJの内容は豊かになり、まさに温度 / ボイラーを表しているといってよくなる
世界とのリンクを増やすとAやFを整合的に解釈するモデルが少なくなっていく。世界と多くのリンクを持つと一意な解釈が固定される。
ayu-mushi.icon関係? : パトナムのモデル論的議論
ayu-mushi.icon位置づけられている場所を加味すれば解釈は定まっている状況 (意味がつよく指標的・外在主義的になっている状況) に見える
ayu-mushi.iconそれだと「外延を決定するもの」としての意味(内包)を把握しているとは言えない (内部状態の差異なしに内包の差異が生じうる) ということか
ayu-mushi.iconパトナムの双子地球では外部環境を変えていたけど、意味が脳だけで決まらないことを示すためには脳と感覚器官や効果器を結びつける神経を全くべつの感覚器官や効果器につないでしまうというやり方もありうるね (意味の体への依存)
p.170
サーモスタットがボイラーに接続されているとき、その繋がれている特定のボイラーがon/offであるという信念を持つことになるが、これはde re態度に関係する
p. 77 機能的状態という言葉が、「関数状態」と訳されている
あとで志向的システム理論におけるfunctionというのは数学の関数ともみなせる、みたいな話があるけど、やっぱり変な感じがする
3 3種類の志向戦略
志向的システム理論とサブパーソナル認知心理学
前者はチョムスキーの言語学における言語能力、後者は言語運用に対応する
マーの3つのレベル
abstracta / illata
志向的システム理論における信念というのは、力の平行四辺形のようなもの。内部のメカニズムを表してるわけではなく、その実在性は割引いて考える必要がある。
4 われわれ自身を理解する
スティッチとの議論
うっかり誤りや放心状態のときどう信念を帰属していいかは、デネットの志向的システム理論の解釈方法からは決まらない
デネットがいう合理性は「無矛盾性」や「できるだけ多くの真の信念を持つ」、「期待効用最大化」などの形式的な概念とは違う
ときには間違いを許容するのが合理的なこともある(安全側に倒す場合など)し、矛盾を許容するのが合理的なこともある(計算量的な都合上)
ayu-mushi.icon最小合理性、限界合理性、生態学的合理性みたいなもの?
スティッチは「もし自分ならこうする」に叶っているかを解釈の良さの評価基準にする
デネットは合理性を解釈の良さの評価基準にする
寛容の原理と人間性の原理?
デネットの方法とスティッチの方法は概ね一致すると考えられる
ayu-mushi.iconデネットの方だと、「すでに解釈者の志向性を前提にしているから説明されるべきものを前提にしているだろう」という反論をかわせる? しかし合理性が「できるだけ多く真な信念を持つ」のような形式的な概念で説明されないとすると、合理性自体が説明を要するということになりそう
5 信念を超えて
命題、命題的態度について
チャーチランド: 命題的態度を帰属するときの抽象的な命題の役割は、「この棒は1mだ」というときに実数という抽象的な対象に言及しているのに似ている
同型写像、表現定理
デネット: 数字より、外貨の価値をドル換算することに似ている
ayu-mushi.icon物価間の関係が同じではなく、両国の間で貿易や両替が行われていないなら、換算が正しいかそうでないかには唯一の答えはないというような感じかな。「江戸時代の米の値段は今にするといくらか」には確定した答えはない、というような
ayu-mushi.iconデネットはクオリアの話のときもドルの例を出しているので、クオリアの話と意味の話に似た構造を見てるのかな
命題は把握可能だとするフレーゲの主張は、命題的態度述語が心理学理論の述語として良い性質を満たすということ
しかしそれは指標詞や双子地球などを考えるとおかしい
ayu-mushi.icon心的状態・心的内容の外在主義を取る場合、心的述語は心理学の述語として良い性質を満たさない?
ayu-mushi.icon外在主義心理学というのはないのか ティモシー・ウィリアムソンは「知っている」というのは外在的だが心理的説明に有用と言っていたけど
p.147 "パトナムの思考実験は議論に値しないというわけではおよそない。なるほどたしかに自然種や固定指示詞といった怪しげな教義に立脚してはいるが、…"
p.148 "ここで私はそうした議論を支持する気はないが、「双子地球」や「自然種」や「フレーゲが本当に言いたかったこと」についての思索によってできた地帯で、塹壕を掘り徹底抗戦したいという欲求を抑えようと思う。(どうやらその欲求にはほとんどの人間が負けてしまうようなのだ。)"
命題的態度をやめて文態度に至るにはいくつかのルートがある
文態度
狭い内容みたいな話
カプランの二次元意味論は (「私」「今」などを含む) 自然言語の意味論だが、ペリーはこれを心的内容に応用した
essential indexical
ここから言語における統語的特徴に対応するものとして、命題を心の中の文とみなす立場が出てくる
p. 162 本当と明らかの違い
ayu-mushi.iconたぶんreal と apparent の違いのことだとおもうけど…
p.174 "フッサールの言う考慮対象外"
ayu-mushi.icon「括弧にくくる」とか?
"époché or bracketing"
概念世界(notional world)
ブレンターノの志向的対象が住む世界
inert historical fact (歴史主義への反論?)
ayu-mushi.icon人工の化学物質と天然由来の化学物質 歴史的性質の因果的役割は現在の全てを考慮することによってスクリーンオフできる
ミリカンのmeaning rationalism批判の影響を受けているらしい