「新反動主義」Part. 6 大聖堂
このパートはあまり整理されていないし、正確性について自信がないので、読んでもあまり得るところがないかもしれない。
(そもそも私が論じることができる範囲を超えているので、あまり書く理由がなかった)
physical security vs. psychological security
純粋な民主主義はイラクのように内戦のような状態に陥る。→競合する勢力が、それぞれ権力をにぎったとき税収を握ることができるため。税収を握るというのは、具体的には猟官制のようなものを指していると思われる。(疑問: イラクの内戦のような状態とは具体的になんだったのだ?)
機能する民主主義にはFnarglのような中央コントロールの仕組みがあるはず。
→報道機関による世論のコントロールの仕組みがそれ。
そのような世論に影響する機関の総体 (報道機関、大学) をヤーヴィンはCathedralと呼ぶ。(大学というのはUniversityの訳。)
報道機関による権力維持を、Fnargl (物理的) や君主制 (世襲制) やネオカメラリズム (武器の暗号ロックによる権力の保証) の権力維持 (physical security) の仕組み と対比して、心理的・感情的な安全保障 (emotional/psychological security)と言っている。
"安全保障"は権力 (税収の流れ) 維持を一般に含んでいると思われる。
すなわち、政府内外からの、反乱による打倒に対する、あるいは投票・政府内の政治による税収の流れの変化に対する、政府の防御の仕組み。
報道機関のsecurityにおける役割としては暴力で政府を打倒することに対する防衛ということ(あるいは少なくともそれだけ)をいっているわけではないはず。
そうではなく、猟官制などにより、政権が変わったときに大幅に税収の流れが変わるというようなのに対する防衛をさしていると思われる。
There's another 〔Cathedralと異なるという意味で〕political system called ochlocracy, in which these mob agitators actually do control the government. In an ochlocracy, the result of the election actually matters, and there's no way to know what the result will be in advance. Naturally this is one of the worst systems of government ever devised, because the mob will split into factions, or gangs, each of which is trying to capture the revenues of the state - usually with progressively more violent and underhanded tactics. The usual endpoint of ochlocracy is straight-out civil war. (We can see this in Iraq right now.)
ここでいうochlocracyは、第2章での政治家民主主義、第3章での内戦としての民主主義と対応すると思われる。
physical security vs. psychological securityという比較は、「株式会社 vs. (消費者・労働者)協同組合」や、「定住型盗賊vs.移住型盗賊」という対比とはまた別の形で、ネオカメラリズムと現代民主主義を対比するためにヤーヴィンが論じているものだ。
ヤーヴィンは (彼が見るところの) 現代民主主義のように世論をコントロールするのではなくネオカメラリズムの、軍事力や暗号ロックされたロボット兵団による権力維持 (物理的安全保障) の方が嘘を撒き散らす必要がないし効果的で良いと言っている。
(しかし、王政でも、マキャベリは砦の補強より人心掌握の方が効果的な場面があると言っている。)
physical securityがもっぱら行動の規制に関わるのに対し、psychological securityは言動や精神のコントロールに関係する。
前者は命令、後者は説得
TODO: キューネルト・レディーンについて追記
Cathedralは、移住型盗賊であること、psychological securityによって自分自身を維持しているという点から特徴づけられる。
ヤーヴィンの主張によれば、その問題は、
政府が報道機関や大学と結びつき (リーク、研究費、学者による政策提言) を持つことで、政策と偽情報のフィードバックにより偽情報の拡散が起こりうる点、
具体的には、公務員が報道機関にリークする見返りに報道機関に政府への影響力を与えることによって、"誰が最終的に持つかがあらかじめ明確には確定していない、競合しうる権力リソース" (cf. 「新反動主義」Part. 3 フォーマリズム) が生み出され、報道機関が移住型盗賊としてそのリソースを獲得・行使するために振る舞う (たとえば、影響力をより拡大できそうな記事を書く) 点、 政府が大学に意思決定を委託する場合も同様
移住型盗賊であることから、報道や大学は報道や大学が政府に影響を大きく持つような社会を志向する点 (政府内での勢力拡大を目指す)、
ヤーヴィンは、”報道や大学が政府に大きな影響力を持つ状態”への志向が即ち左派なのだというようなことを言っている
ヤーヴィンの議論はグッドハートの法則と似ている。最初、専門家の意見は政策に参考になるものだったとしても、いったん政策の参考にされるということを予期した専門家は、その意見で政策に影響を与えるための競争を行いはじめる
もともと勉強の成果を計るのに都合が良いものだった学力テストに激しい競争があると、学力テストに受かるためだけのテクニックが横行し、勉強の成果を計るというもともとの測定目的から外れていくように
そのことは個人が意図しなくても利己的なミームとして適応的である点、
である。
(以下で私が言う疑問の多くが、なぜCathedralが1つの移住型盗賊であって、複数の移住型盗賊ではないのか、というものだ)
ここでは"permanent civil servant"といっているが、ヤーヴィンはCathedralについて以下のような特徴づけを与えている:
This bureaucratic oligarchy is a common historical form in large old states. Regardless of formal status, a “permanent civil servant” is anyone who sets government policy, is funded by the government, or has privileged access to government secrets, and who cannot be fired by any practical executive action. This definition includes essentially all professors and journalists—and all legitimate and/or respected professors and journalists. It’s really quite sustainable.
どんな人であれ、政府の政策をじっさいに決めているひとびと
政府から助成金を受けている
あるいは政府の秘密に特権的なアクセスを持つ
どんな実際的な行政行為 (大統領権限?) によっても解雇不可能
→これは本質的にはすべての大学教授と報道記者を含む
解雇できない、誰かに対し説明責任を負わない、ということもヤーヴィンはCathedralの条件にあげている。
しかし、むしろ投票者などに説明責任を負うからこそ政策と偽情報のフィードバックが成立しているという主張ではないのか?
もし投票者の気を引かなくていいなら「合衆国 海洋大気省が地球温暖化の危険を煽って議会から予算を獲得する」というような説明 (■) はできないはず。 (大学は議会や省庁に説明責任があってそれによるインセンティブの歪みが発生するからダメ、報道は説明責任が無いからダメというダブルバインドの主張になっていないか?
ヤーヴィンは予算が国会で承認されるシステムと、独自で収入を得ているシステムと、どっちがより腐敗すると考えているのか?)
オルソン「再分配連盟」
ヤーヴィンが、Fnargl的支配では精神的支配をしないだろうとしていることからすると、精神的支配をするとしたらそれは権力維持のためであって、勤勉にするためとかそういう目的ですることはないと想定しているのだろう。
テクノクラシーを支持するウォルター・リップマンと、テクノクラシーに批判的で民主主義を支持するジョン・デューイ (どちらも進歩主義運動に関係した) との間の論争
左派のミーム論的分析
(彼はアメリカ以外にはあまり関心がないらしい…ここは彼のウィークポイントだろう。アメリカより大きな国家 (スウェーデンとか) について説明を求められると外来種が原地よりも移住先で繁栄するようなものだと言ったりするが、どうだろう。苦しい説明では? (ワイマール共和国の社会権1919は古いし))
ヤーヴィンは左派の顕著な考えを「ロールズ的財産平等主義、善意の官僚による統治、平和主義、人間の生物学的一様性」とまとめている。
ヤーヴィンは、
過去から現在に向けて社会が左派的になる傾向がある
しかしその流れは誰かの意識的な共謀/計画によるものではなく自生的な現象なので、陰謀ではない (陰謀は何者かの意識的な共謀を前提とするから)
と繰り返し主張している。
ヤーヴィンは左派の考えをドーキンスの「利己的なミーム」のようなものだとして説明したいようである (ちょうど、ドーキンスが宗教を利己的なミームと考えたように)。
しかし、うがった見方をすれば、これは陰謀論者が犯す「合成の誤謬」を犯しているように見られるのを避けるために「利己的な個人」という概念を超える「利己的なミーム」を持ち出すことで誤魔化そうとしているのではないか? とも取れる。
この意味で自然化された陰謀論と呼べるかもしれない。
(ちなみに、他の自然化された陰謀論の使い手としてはユダヤ陰謀論者のケヴィン・マクドナルドが居る。
マルクス主義者がマルクス主義が受け入れられない理由として持ち出す「虚偽意識」とか「イデオロギー」のリバタリアン版ではと思う人も居るだろう
ヤーヴィンはマルクスではなくガエダーノ・モスカの「支配階層は支配を正当化する考えを広め、反乱 (支配階層が交代すること) を防止する」という考えに賛同しそれに基づき理論を構成しているが、これはマルクスの「資本家が支配を正当化するイデオロギーを広めることで労働者の団結を防ぐ」(虚偽意識)というのと似ている。
ヤーヴィンは階級闘争のようなことを目指しているわけではないし、支配階層的なものが存在すること自体が悪いのではなく、psychological securityが誤った考えが信じられることをもたらすとして非難しているのだけど。
アントニオ・グラムシの文化的ヘゲモニー
)
たとえば、政教分離などのために、左派思想のプロテスタント起源を隠すのが適応的だっただろうから(隠すように進化した)ということを、まるでプロテスタント起源であることの根拠のように扱っている。
And when we use the adaptive method, the result is even more disturbing.
First, of course, this trick of dropping off the radar screen is very suspicious. In fact, as I pointed out in my last post, ultracalvinism has extremely compelling reasons for not wanting to be known as either Christian or Protestant, because its patterns of intolerance are extremely ugly and familiar to anyone who can swallow any such taxonomy. (Peter Hitchens has called its Limey equivalent “the most intolerant faith to dominate Britain since the Reformation.”) If there was ever a general understanding that “political correctness” is merely a case of common-or-garden religious intolerance, its apologists would find their jocular habit of excusing it as a kind of intellectual rowdiness, boys-will-be-boys and so on, to no longer roll so smoothly off their tongues, and its foes would find themselves infinitely better-armed.
これは (計画的な陰謀を持ち出していない点を除けば) 陰謀論的ではないか?
もし左派がプロテスタント起源だとして、プロテスタント起源を隠す左派と、隠さない左派が居たとして、前者がミーム間の競争で勝つという道理はあるだろうか? (ところで周りがプロテスタント信者ばかりならむしろプロテスタント起源と主張したほうが好印象なのでは?)
後者のせいで既にバレているのでは?
前者のオーディエンスと後者のオーディエンスに顕著なオーバーラップが無い場合は、こういう進化が生じることもあり得るかもしれないが。
(しかし根拠として持ち出すのは論点先取だろう。)
また、たとえばヤーヴィンは大学進学者・移民を増やすと民主党の投票が増えるのでそのようにすることへ淘汰圧がかかっているみたいなことを言っていた気がするが、群淘汰的に、民主党員内での協力が維持されていることを前提としてしまっているのではないか。
もし民主党1と民主党2があって、民主党1によって移民させられたものは民主党1に入れるみたいな競争関係があれば淘汰圧が原因になってそういう行動をするようになるだろうけど。
議員というものはあるが
移民賛成左翼ミームと移民反対左翼ミームがあって、前者によって移民が入り民主党の票が上がったとしても、投票先が1つである限りどちらのミームも同様に利益を受けてしまうので、前者のみを好む淘汰圧がかかるということはない。(少なくとも投票によってそうなるということはない)
もし民主党内で票を増やした功績で前者が称えられ前者の割合が増えるとしても、それは計画的な協力であり、利己的ミームを持ち出すまでもない。
よって、利己的ミーム説の説明力には限界がある。
これは本当の適応主義じゃない。単に、陰謀論を展開した後
s/choose/outcompete/g
s/conscious/adaptive/g
としているだけではないか。
合理的なインセンティブにもとづく説明があって、でもそれを意識的にやってるとは思えないから、とりあえず進化みたいなものだと考えた?
均衡、動学
問題は、ミームだとすると、合理的主体と違って 先読み ができないこと。
この種の議論は結果的に有利だったというだけの結果論になるのではないか。
あるいは"just-so story"(なぜなに話)ではないか?
(進化論に対してこういうことをいうのは誤りにせよ、ミームに関してはそうともいいきれない)
計画的な意図ではないけど、そうであるかのようにリバースエンジニアリングするのが有用というふうに言っているが、計画的な意図のように考えることで生じる誤りの方が有用さより、この場合は大きいのではないか。
過去の環境と現在の環境が似ていて、遺伝のように前と似たことをやるという仕組みが必要
ヤーヴィンのCathedralの説明は、ある考えXが政策Pを動機づけ、その政策がさらにXを増殖させることで、Xの正しさとは別にXが増殖する、というフィードバックプロセスを指摘するものだ。しかし、政策PがXの競争者Yも同様に増殖させるのであれば、ヤーヴィンの説明は不完全ということになるだろう。
考えXが間違っている場合にのみ政策Pの副次的結果がXが正しいと思っている人の自己利益に貢献し、Xが広まる、という状況も言っているが、間違っているということは意識的にそういうことをするのは変な例で、ミーム説が正しくないと成り立たない例だ。
Ideas are not individuals. They do not organize, have meetings in beer halls, wear identically colored shirts, practise the goose step or chant in the streets. However, to ambitious people the combination of good and altruistic intended effects, with evil and self-serving actual effects, is eternally attractive. We can describe policies exhibiting this stereotype as Machiavellian.
これは私の思い付きというわけではなく、ヤン・エルスターが『酸っぱい葡萄』のなかでハッキリと述べている。
「フーコー、ブルデュー、そして彼らの同類たちは間違いなく、それをなそうとする残忍な計画者のいない邪悪な計画を仮定することの繊細さにひるむことはないのだ」174頁
行為の帰結を誰も意図しておらず、かつ、その帰結から利益を得るものも、その帰結や利益を理解していない場合であっても、その帰結から行動へのフィードバックメカニズムが存在しているならば、帰結は行動を説明し得る。
問題は、メカニズムを特定せずに行うその種の説明の胡散臭さ(繊細さ)である
ある意味でそういうフィードバックを特定する試みは行っている。世論と政策の間のフィードバックという形で。
しかしフィードバックの存在だけでは十分ではあるまい
ヤーヴィンは人間は直感的には権力には見えない権力も追求しますよといい、それは意識的ではないと主張するから、なんか無意識の直感が自己利益に合うような選択肢を生成してるというわけにもいかず、ミーム淘汰という選択肢しかなくなっている。
ダニエル・デネットは宗教を、"conspiracy without mastermind" (首謀者なき陰謀) と呼んだが、ヤーヴィンは左派をそれだと思っているわけである。
もし科学が政治的影響力を持つなら、それを利用しようと考える人は左派でも右派でも居るだろうし、学問が政府に影響力を持った結果は学問を左派化するのではなく単に党派化するという「対称性」仮説もある。
ヤーヴィンは学者は学者の影響力を広げようとし、学者の影響力の高い政府とは左派であるから、対称性仮説は誤りと主張する。しかし、学者全体の影響力ではなく、個々の学者として影響力を持ちたいだけならミルトン・フリードマンのような人でも政府に影響力を持つことは可能ではないか。つまり、ヤーヴィン自身がケヴィン・マクドナルドのユダヤ陰謀論について批判したのと同じ、合成の誤謬ではないか?
いや、でも学者全体としての協調が成立するならそれはFnargl化して拡大しなくなる?
Cathedralが移住型盗賊ということはCathedralの組織間で協力が成り立たない場合があるのだが、どういう場合に協力できてどういう場合にできないのかが明確でない。特に、なぜローデシアのような右翼勢力やポピュリズムに対し団結するのか。
むしろポピュリズムを使うことでCathedral内での勢力争いを有利に進めるというのは無いのか。
彼はpsychological security vs. physical securityという対比と、定住型盗賊vs.移住型盗賊という対比を持っているけれど、「Cathedralが内部で協調するのはなぜか」などと考えると、Cathedralを移住型盗賊と言いたいのか定住型盗賊と言いたいのかについて微妙な点がある。
Cathedralは内部では協調するけれども、軍隊や貴族、アフリカーナー、ポピュリスト政治家などに対しては競合関係にあるために、全体として1つの移住型盗賊なのだということなのだろうが。
現に地球温暖化懐疑論とかヤーヴィンが主張しているのも、乱用の結果である可能性がある(下記参照)。
ヤーヴィンはCathedralが知的多様性を欠いており一様 (synoptic) であると繰り返し言っている(Cathedralの特徴と考えている)が、経済学者と法学者と政治学者と社会学者はお互いそんなに似たようなことを言わないと思う。
外集団同質性バイアスというだけでは。
ヤーヴィンは大学と違って右派系シンクタンクにはManhattan InstituteとCato Institituteなどお互いに違うことを言っていて多様性があるという ("He who refuses does not repent" ) が、右派の内部派閥に詳しくない人からしたら、同じことを言っているように見えるのではないか。 どっちも小さな政府推しでしょ、くらいのくくりで考えると似たようなものなのでは。
フィードバックの具体例
アファーマティブアクション
ヤーヴィンはアファーマティブアクションを猟官制と言ってたりするが、猟官制は支持者になればリワードするよという仕組みであって、人種や性別を基準にするなら支持者もそうでない人もリワードされてしまうのであまり意味がないのではないか。
まあ移民に関して言えば、移民へのアファーマティブアクションをすることで移民を増やし民主党支持者が増えるということもあるかもしれないけれど。
そんなに厳密なアナロジーを念頭においているのではなくて、「マイノリティを持ち上げると、マイノリティは民主党支持がもともと多いわけだし、上の立場にマイノリティが多くなって左派の影響力が強まるだろう」的なことならまあ。
犯罪
犯罪についても、ヤーヴィンは犯罪や暴動にあまり効果的対策をしないことで左派が政府内での権力や予算などのアドバンテージを得ることによるフィードバックがあると言っている。
挙げている根拠は以下と思われる:
移住したからといって選挙権は無くならないから選挙上のアドバンテージがあるかは微妙のような
選挙区の区切りによっては無いとは言い切れないけどもっと詳細な議論が必要だろう
ヤーヴィンはおそらくデトロイトみたいなのを現代の問題の典型として扱っているのではないか (それに対しデトロイトは典型と言うより外れ値ではないかというコメントもある)
>〔Yarvin: 〕Large areas of X, including entire major cities, have been ethnically cleansed by the departure of class-B people fleeing class-A violence.
〔TGGP:〕 Other than Detroit, where? And Detroit was gong to decline with the rest of the Rust Belt anyway.
〔Jewish Atheist〕But it's easy to tell who cares about the science of HBD and who uses it as a propaganda tool. Watson, Pinker, Summers -- all those guys are liberals who care about the truth. The commenters here who hold up Detroit as the epitome of African-Americanism (rather than an outlier) and those who are anti-semitic (oh, well with regard to THE JEWS, IQ isn't the most relevant measure!!) and those who insist that Barack Obama is unintelligent... well, I think I know where they stand, intellectual honesty-wise.
左派の誘導によって選挙民はそれを不平等が噴出したものと認識し、民主党や福祉をする行政組織の勢力が上がる
なぜ「右派の誘導によって選挙民はそれを法と秩序が欠けていると認識し、共和党や取締をする警察組織の勢力が上がる」のではないのか不明
暴動はむしろ法と秩序ニクソンの当選につながった
BLMの暴動ではどちらの2020年大統領選候補にも「自分が当選しないと暴動がやばいぞ」といいつつ、その脅しを機能させるために暴動と共犯関係にあるという非難がされることがある
ワイマール時代に突撃隊のような武闘派右翼をプロイセン時代の残党である判事が容認したようなことが起こった
なぜ非合法路線の連中を支持して政府内でのアドバンテージが得られるのか?
ワイマール時代の判事はどちらかと言うと意識的にやっていたのでは?
ヤーヴィンが根拠として挙げているものがこれだが、このTom Wolfeという人は文章がわかりにくい感じがした。
投票所で嫌がらせするとかはできるが、投票の秘密というものがある以上、あまりストレートに効果を発揮する脅迫みたいなものはないのでは
(治安悪化というヤーヴィン的な主張の方が報道の影響かもしれない) (利用可能性ヒューリスティック)
上のようなことを意識的にではなくフィードバックメカニズムだけでできるか?
たとえばこれを行った地域では左派が栄えるというような競争の仕組みによって? (左派という区分をあらかじめ前提しないほうがいいかも、あくまでミーム進化の結果としてできるものが左派と見なすならば)
ヤーヴィンが (ギャングや下層階級の) 犯罪をBDH集団の政治的に役立つ何かとみなしているのは、フェミニストがfemicideって言ったりするのと同じ理屈で、外集団による内集団に対する危害を、協調の取れた、ある種戦争の先制攻撃のようなものだと解釈するマインドセットだからでは (進化論的観点から見たイデオロギー参照) Cathedralの具体例:
アメリカ政府の行政機関
国務省
ヤーヴィンは公務員は民主党支持が多いと言うが、実際どうか?
公務員の政治献金は民主党に向かっているが、公務員の支持政党の比率ではよくわからない
ニューヨーク・タイムズ
ナショナル・パブリック・ラジオ
スタンフォード
NPO/NGO
Human Rights Watch
対抗策
Cathedralへの対抗策としてヤーヴィンは、
(Cathedralが権力を握る前の) 昔の本を読む
(グーグルブックde真実というわけだ)
報道や学者の考えを検証する法廷みたいなWebサービスを作る
「情報とセキュリティの分離」により政策と情報のフィードバックを断ち切る
情報とセキュリティの分離: 報道機関が公務員からのリーク情報にアクセスできるという慣習を無くし、政府が情報を公開する際は全国民に同時に公開する
政府が大学や教育機関にお金を出すのをやめる
しかしフィードバックを止めるだけのためにそれをするのは損得勘定に合わないというか、研究が過小供給になるだけな気がする
流石にそれはあれなので、予算拡大のインセンティブによる活動を防ぎたいのであれば、("競争的研究資金"ではなく) 研究助成金を大学毎に毎年固定にすればいいというやり方もありえそう
ヤーヴィンは研究助成金の配分を株式のように固定されたものに基づける提案を示唆している
また代わりに民間が助成するなど
In any case, I certainly believe that if anything not enough people are working on biomedical research, but I think - even without converting NIH's yearly budget into Fedco dividends - private organizations could do a much better job of administering the effort. It is simply impossible for political appointees to manage scientists, but someone has to do it.
既存の研究に頼らず、フルスクラッチで第一原理から理論的に考える
などの提案をしている。
報道
政府組織から報道へのリーク
官僚が記者にニュースを与える(情報をリークする)→記者が官僚に好意的なニュースの提示をする
というような協力関係
リークっていうことは誰かを裏切っているわけだけど、誰を裏切っている? 大臣?
政治家は似たようなことができないのか?
ヤーヴィンによれば右派が強いという地方警察も、リークはできるだろう
チョムスキーは、報道の情報源が軍や国務省といった政府機関であることは報道に右派的な偏りをもたらしているという、正反対の主張をしているそうだ。
これは記者が民間の組織にたずさわる場合でも言えることではないのか。
その組織について悪いことを言えば新聞が売れるかもしれないけど、今後取材に応じてもらえなくなる可能性があるという。
This has a larger impact than you might think. Almost every press story you’ll see is either (a) a rewritten press release (a practice even the ‘scavengers of the press’ find degrading), or (b) a product of selective disclosure by some government or other. The practice of talking off the record, or even downright leaking, to journalists, is widespread and uncontrolled, despite the fact that it is generally illegal.
The result is a very complicated power relationship between journalists and the civil servants who are their sources and contacts. Each is using the other. The journalist wants a story, the civil servant wants a story that contains certain information and is told in a certain way. There is plenty of room for compromise and quid pro quo.
投票者の中には、「政治家はかなりの部分の意思決定を政府組織に任せるべきであり、政治家自身が主導権を握る必要はない」と考える制度派とでもいうような人々が居て、リークの存在によって報道は制度派を増やす方向に働いている、という説
族議員?
Economists William Meckling and Michael Jenson, formerly of the University of Rochester, offered an explanation for the extreme statist bias of the media some thirty years ago, and I think it applies to the MSM’s current blackout policy. If you are a national news reporter, you must always keep in mind that news must be new. You must cultivate numerous “inside sources” of news, and in today’s world those sources are overwhelmingly in govenment. If you report on defense issues, your main sources are Defense Department bureaucrats or political appointees. If you are an environmental reporter, your sources are EPA bureaucrats and political appointees. If you are a crime reporter, you rely on the FBI bureaucracy, etc., etc.
This is why the media are never very critical of government bureaucrats — unless the bureaucrats are being insufficiently interventionist. They pretend to be critical from time to time, but not really. The regime must be defended at all costs, for it is the regime that is the source of the journalists’ human capital. Strip away parts of the regime, as Ron Paul wants to do, and you strip away jobs and careers for “journalists.”
Cathedralというのは、ある意味リバタリアンの世界観にはない文化的な話をしたいわけだ
つまり暴力とか強制力と言ったリバタリアンが主に敵視する権力とは違った、ソフト・パワー
Blogger Steve Sailer said...
For the last half dozen years, the New York Times' genetics reporter Nicholas Wade has written many tens of thousands of words about how race is, contrary to fashionable belief, very real and is rooted in our DNA. How much influence have his articles in the "gray journal" had on the conventional wisdom about the nature of race? Practically none, so far as I can tell.
So, it appears that the NYT can only lead in the direction its followers in the rest of the media are already headed.
OCTOBER 3, 2007 AT 2:14 AM
政治家と選挙民の媒介としての報道
政治家が報道機関を通じてしか選挙民とコミュニケーションできないという論点もあり、こちらは有権者が報道されたとおりに操作されるという話よりは説得力がある:
But Powell—Radio Enoch aside—never had the tools to preserve these numbers and convert them into power. Similar majorities of American voters today will tell pollsters that they support Powellian policies: ending immigration, deporting illegals, terminating the racial spoils system. These majorities are stable. No respectable politician will touch them. Why? Because they cannot afford to antagonize the Cathedral, whose policies are the opposite.
Recall La Wik’s simple summary of the Lippmann system:
>The decision makers then take decisions and use the “art of persuasion” to inform the public about the decisions and the circumstances surrounding them.
Of course, all politicians in all Western countries depend on the official press to promote and legitimize their campaigns. Powell and McCarthy had no direct channel of communication with the Powellists and McCarthyists. They had to rely on the BBC and on ABC, NBC and CBS respectively. It’s rather as if the US attempted to invade the Third Reich by booking passage for its soldiers on the Imperial Japanese Navy.
しかし、ラジオ・イノーック〔Wikipediaにはサッチャー政権での保守的な環境によって (海賊放送である) ラジオ・イーノックの有用性は失われたと書いてあるが〕を除けばイーノック・パウエルはそれらの人数 〔多数派の意見〕 を捉えて力に変える手段を持っていなかった。 似たようなアメリカの有権者の多数派〔オピニオンリーダーと一般人の意見の移民などについての違いを比較した世論調査〕は世論調査員に、彼らがイーノック・パウエル派の政策を支持していることを告げている: 移民をやめ、不法入国者を国外に追い出し、人種的猟官制〔アファーマティブアクション〕をやめる。 彼ら多数派は安定だ。
ウィキペディアにあるリップマンの仕組みの簡潔な要約を再掲する:
>意思決定者は決定をし、"説得の技法"をつかって公衆にその意思決定とそれを取り巻く状況について教える。
もちろん、すべての西洋の国において政治家はその政治広告を推進し、正統性を得る上で 公的な報道機関 (the official press) に依存している。
パウエルやマッカーシーはパウエル派やマッカーシストとの直接コミュニケーションする経路を持っていない。
彼らはそれぞれ、BBCと、ABC〔American Broadcasting Company〕, NBC〔National Broadcasting Company〕, CBSとに依存している。 これはアメリカ合衆国がナチスに侵攻する上で、その兵士のために大日本帝国海軍に乗船予約するようなものだ。
トランプは
連邦準備制度
ヤーヴィンは連邦準備制度に批判的だが、
The people who run central banks are usually economists. Whatever their problems, economists are—compared to other government officials—unusually likely to adopt economically efficient policies if you give them a chance. So contrary to Murray Rothbard's populist complaints, giving independence to central bankers has relatively good results. -- Bryan Caplan
という意見もある。
大学
ヤーヴィン: 「大学に政策制定させると、大学の役割が大きくなるような考え/政策をするインセンティブがある。
また、エネルギー省のような政府機関が研究助成金を出すということは、石油企業が環境問題の研究に助成するのと同様の利益相反を生み出し、研究内容に影響する。
(そうと信じられることで) 大学の影響力を大きくするようなアイデアが真理を差し置いて広まる。」
→稲葉『社会学入門』: 社会学は経済学や法学のように現実世界に影響力を持つ学問を価値中立でないとして批判したが、実際にはそれらの学問の方が現実世界へのフィードバックがある分、地に足のついたものになったのではないか。
//じっさいに政策制定に関係ないタイプの文系学問のほうが左翼化してそうな気がするので、政策制定力が左翼になる原因とはあまり思えない。
この仮説は学部ごとの民主党支持/共和党支持の率と、政策制定に携わっている率の相関を調べることでテストできるのでは
もしくは他の要因と比べて政策制定に携わるかどうかを元に予測する場合、どれくらい民主党支持/共和党支持の予測に優れているかを調べる。
もし政策制定に関わっていない人文科学のほうが関わっている社会科学より民主党支持が多いとなればヤーヴィンの説はおかしいという話になる
同じ人を追跡して学部から教授に進むにつれて意見が変わっているか調べるのはどうか。
ヤーヴィンの理論は元々左派的な人がアカデミック職に進むことではなく、徐々に左に向かっていくことを予想する?
研究助成: その行政機関の重要性を正当化するような研究に助成金を出すことで、重要性を過大評価させるインセンティブ
Well, that’s all right! But—wait: Where the interests of NOAA〔アメリカ海洋大気庁 〕 are concerned, the relevance of climate change is, if anything, more apparent. NOAA has a budget process. This research is at least as relevant to NOAA’s cashflow as to Exxon’s. What if the scientists are loyal to—NOAA? Or—USG itself? Yet nobody says: never trust content from NOAA. Hm.
ヤーヴィンは助成金によるインセンティブの歪みゆえに物理科学以外ぜんぶ信頼できないみたいなことを言うが、助成金を出したその省庁への過大評価があるとしても、(協調関係が無いと仮定しているならば) 他の省庁の活動への評価まで歪むということはないだろう (具体的にどのような政府機関によって、どのような助成金プロセスがあるのかに言及しないと、どんな種類のインセンティブが生まれるかわからないのでは)
NSF
年間予算は70.3億ドル(2012年度)。米国の大学における基礎研究に対する米連邦政府からの支援の内、およそ20%を担当している。
DARPA
2007年度予算は32億ドルになる
各政府機関毎の研究開発への助成金の比率
とはいえ、未来の税収を気にするインセンティブはいずれにせよ無いか
いや、それも予算がどの程度安定しているかに依存する
研究助成によるインセンティブの歪みが左派的傾向を生み出しているというのであれば、公立大学と私立大学の考えの違いを比較するとか、研究助成をもらう量によってどのように考えが違っているかなどを調べて検証すればよいのではないか
この統計では、政策制定への関わりが強そうなPoli SciやEconomicsより、あまり関わりがなさそうな人類学、宗教学、英語学、芸術、音楽の方が「民主党支持:共和党支持」 比 で民主党側に寄っている。
他の説明:
地球温暖化に対して炭素排出の制限によって対処すべきという気候科学 (AGW, Artificial Global Warming)、
経済には一定のインフレが良いとする主流派マクロ経済学 (KFM, Keynes-Fisher Macroeconomics)、
人間がその心や行動傾向において生得的な違いはないという説、特に人種間の知能指数の差異、それによるパフォーマンスの違いが純粋に環境によるとする論 (HNU, Human Neurological Uniformity)
という3つの論について、学者がその政府への役割を拡大することを主な機能とし、真ではない論である (そういう偽情報が広まることが学者に政策制定を任せることの問題である) と言っている。
ヤーヴィンの、ケインズ・フィッシャーのマクロ経済学への批判はかなりダメダメだ。(私もマクロ経済学について特に知っているわけではないが)
経済学者が一定のインフレを支持する主な理由である貨幣錯覚・名目賃金の下方硬直性について言及すらせず、貨幣の中立説に従って議論している。
それで貨幣の中立説に従って「貨幣を刷ることは誰かからお金を取ってきて他の人に配ること、つまり税金に等しい(インフレ税)」と論じている。
主流派のマンキューのマクロ経済学の教科書 (pp. 168-176) にも、貨幣を刷ることにはインフレ税というデメリットはあるし、貨幣錯覚さえなければそういうデメリットのほうが大きいとはっきり書いてあるんだけど。
たしかヤーヴィンが信奉するオーストリア学派のマレー・ロスバードらは貨幣錯覚についても議論してた。
しかし、ヤーヴィンは知らないようだ。
そんなにケインズ経済学が嫌いなのに、最近 (2014年あたりからか?) は政府が市場に介入して労働需要を生み出すべきとも言っていて、謎である。
地球温暖化懐疑論についてはわたしに知識がないのでとりあえず関連情報をリンクしておこう。
というわけで私の感想としてはHNUだけが偽情報の可能性が高いなあという感じ (ただしピンカーのブランクスレート本には知能テストの人種差は完全に環境要因なのではないかと書かれているようだが)。
その1つしかないなら、一部の人文系が偽情報を言っているというだけで、ヤーヴィンがいうように社会科学や、自然科学に近い気候科学にも偽情報が浸透しているというようなことにはならないし、そこに基づいた彼のCathedralの説明、評価自体を疑わしくするなあと思う。
(しかも、HNUを否定するためにヤーヴィンが参照しているのだって、自然科学の専門家だ。)
ヤーヴィンが大学について言っているのと同じくらいの基準でconflict of interestだから信用できない、と言えるならば、ワクチンは製薬会社の陰謀とか軍産複合体とかいうのも同じ基準で考える必要があるのでは。(それも計画的な陰謀ではなくadaptiveな現象として説明できるし、conflict of interestがあると言えばある)
Suppose you are a CS researcher, let’s say in the area of “programming languages.” You are almost certainly a government contractor. You and/or your students are funded by a grant or grants, which you spent a considerable amount of effort in securing, in competition with many other researchers. The grant was approved by a board at an organization such as NSF or Darpa, and the reviewers were other researchers such as yourself—in fact, you may even know one or two of them. (Try to avoid using the word “mafia”—it is unseemly.) This outfit must in turn obtain its funding (the dirtiest word in the English language) from Congress, before which its lawyer-flanked flacks present themselves on a regular basis. Congress, in turn, receives its paycheck from good old Fedco, which gets it you know how.
ヤーヴィンは、議会や省庁が研究費を決定するのが問題と考えているのだろうか? それとも、同じ分野の研究者によって決定されることが問題と考えているのか?
彼の考えでは、学者に研究費用を与え政策立案をさせると、自由市場より中央計画による解決を好む系統的なバイアスがある。中央計画を提案すればいっぱい考えるべきことがあり論文が書けるので、より研究費を政府からもらえるから
(ヤーヴィンは、危険性を過大に評価すればそれだけ研究が政策的に重要と評価される可能性が高まるとも言っている)
これは地球温暖化懐疑論者には広まってる話かも:
アメリカの政治的右派の一派は、石油企業の利害関心 (interest) にどっさりと支持を受けて、温室効果ガスが地球を温暖化していることを否定する熱狂的で偽りに満ちた運動を行ってきた。
そうやって彼らは、科学コミュニティがポリティカル・コレクトネスに致命的に汚染されており、政府による経済の統制 (takeover) にイデオロギー的にコミットしている、という陰謀論を提示してきた。
私〔スティーブン・ピンカー〕はアカデミアにおける「政治的に正しいドグマ」を監視する番犬として、これはナンセンスだと言い切ることができる: 物理科学者はそのようなアジェンダを持っていないし、証拠がそのことを示している。
(そして、まさにこのような嫌疑に対してアカデミーの信頼性を保つためにこそ、どの分野の学者も政治的な通説(orthodoxy)を押し付けたりしてはならないという義務があるのだ )
"4. the climate science establishment has a vested interest in alarm."
"We show how the incentive structure in modern science was established soon after World War II and led to the federal takeover of much of science (and all of climate science) and how that can create a systematic distortion in the direction of alarmism."
そして、利己的なミームが気にするのは短期的利益だけじゃないかい?
原子力村
ヤーヴィンはしばしば報道機関が世論をコントロールできるように言っているが、↑のHugo Mercierは公的情報に対する大衆を単なる受動的存在と考えることに対し批判している
ファシスト、共産主義者はたしかにプロパガンダをやって、かつ権力を一定期間握っていた。精神的な安全保障が機能するという、根拠と思えるかも。しかし、それは当時の強力効果論に基づいたものであって、プロパガンダと権力維持の成功の、因果関係があるかは怪しい。
cf. ポール・ラザースフェルド、オピニオンリーダー
ヤーヴィンはインテリ(学者、記者)の影響力を強いものとしているが、↑はインテリは意外と政治に影響力はないのではないかという話
Murray Rothbard followed Etienne de la Boetie (to whom I prefer Franz Oppenheimer) in believing that governments only existed because people have been bamboozled into supporting them by court intellectuals.
ロスバードは自発的隷属論のエティエンヌ・ド・ラ・ボエシの影響を受け、政府が存在するのは政府の御用学者によって人々が政府を支持するように信じ込まされているからに過ぎないと考えた
ヤーヴィンもおすすめしている本だが、John T. Flynn (1944) As We Go Marchingにはケインズ的政策はドイツやイタリアでは昔からあったと言っている。 ピラミッドとかヴェルサイユ宮殿とかも箱物行政では?
ケインズ自身も似たような指摘をしていた
古の世界は、世間がパンだけでなくサーカスも必要だというのを知っていた。そして政策とは別に、その支配者たちも自分自身の栄光と満足のため、国の富のかなりの割合を、儀式だの芸術作品だの、壮大な建物だのに費やした。こうした政策や習慣、伝統は、ギリシャやローマ時代に限られたものではない。それは素手で働く人々が後に記録を残したときから始まり、そして形や目的こそ変わったものの、ストーンヘンジからソールズベリー大聖堂に始まり、時代を下ってクリストファー・レン卿、ルイ 14 世、ピョートル大帝の時代まで少なくとも続いていた。18 世紀と 19 世紀初頭には、裕福な貴族は私的な、自分中心の、そして抑えたやりかたで、かつては王室や国家の役割 (教会の役割はいささか衰えてしまった) だったものを継続させた。だが 18 世紀に始まり、19 世紀に頂点を迎えたのは、国家と社会の役割についての新しい見方であり、それが今日まで我々を律している。
では (ヤーヴィンは経済学者がケインズ主義などを取っていることが悪いと言うが) インテリがケインズ主義でなくても政治家は自動的にやるのでは?
憲法には次のような条項がある、――「社会は、国、県、地方自治体が公共事業を確立 し、仕事を求めるものを雇用することによって労働の発展を奨励し、促進する。」
緊急の場合、厳しい冬場の一時的な手段としては、納税者によるこういった干渉も有用 かもしれない。それは保険と同じような役割を持つ。それは雇用にも賃金にも何もつけ加 えないが、通常時の雇用や賃金を、損失は伴うものの、困難な時点へと移すのだ。〔バスティアが"景気の安定化"をある程度認めているのは面白い〕
永続的・一般的・体系的な手段としては、それは破滅的な神秘化、不可能性、以外の何 ものでもない。それはわずかばかりの労働者の喜びを伴う、それは見えるものだ、同時に 大量の実現されなかった労働を強いられることになる、それは見えないものなのだ。
(1850)
As “nooffensebut” argues in the original post, I think people are just reaching for arguments, however plausible they may be on their own merits, that support an agenda they have. The common thread here seems to be that “liberals” or “the establishment” believes in one thing, and boy would they look stupid if that was shown to be wrong.
ブライアン・カプランはインテリより一般人の方が国家の拡張に好意的であると言う
もしそうなら、わざわざ世論を操作せずとも、大きな国家できるのではないか
他の種類のエリート
これもインテリではなく人口動態などが原因であるものを新反動主義者は誤って帰属しているという論点
ヤーヴィンの戦略についての考えは、上層であるインテリを説得すれば勝てるというハイエクの考えに共通するところがある
ヤーヴィンは大学が政治化するのは大学が政府に公共政策を指示している(大学が行政機関などを操っている)存在だからだと主張するが、ヒースによればアメリカでは議会にインテリが影響を持たないため腹いせに大学内で政治をやっているのだという
大学にいっぱい居るからといって政策や政権に影響を与えているとは限らないのではという説がある
小浜市が勝手に応援くらいの立ち位置の可能性もある
ヤーヴィンはスタンフォードやアイヴィー・リーグのような高学歴がポリティカル・コレクトネスを主導していると考えているのではないかと思うが、そうでもない
ヤーヴィンの"アメリカのカースト"論について
Thomas Frank’s What’s the Matter with Kansas? asserts that the Republican Party has forged a new “dominant political coalition” by attracting working-class white voters on the basis of “class animus” and “cultural wedge issues like guns and abortion.” My analysis confirms that white voters without college degrees have become significantly less Democratic; however, the contours of that shift bear little resemblance to Frank’s account. First, the trend is almost entirely confined to the South, where Democratic support was artificially inflated by the one-party system of the Jim Crow era of legalized racial segregation. (Outside the South, support for Democratic presidential candidates among whites without college degrees has fallen by a total of one percentage point over the past half-century.) Second, there is no evidence that “culture outweighs economics as a matter of public concern” among Frank’s working-class white voters. The apparent political significance of social issues has increased substantially over the past 20 years, but more among better-educated white voters than among those without college degrees. In both groups, economic issues continue to be most important. Finally, contrary to Frank’s account, most of his white working-class voters see themselves as closer to the Democratic Party on social issues like abortion and gender roles but closer to the Republican Party on economic issues.
ヤーヴィンのような、支持政党において経済より社会階層・文化を重視する考えへの反論
ピーター・ターチンは、アメリカ政府はインテリエリートより金持ちエリートによって支配されていると言う。
ただ、ターチンの考えるエリートは、Ph.D. 、弁護士も含んでいるのでインテリも含まれる
ヤーヴィンが右派は負け犬で左派は勝者だと常々強調するのは、これらの記事にあるような、「人が自分の陣営は弾圧されていると言いたがる傾向」を思わせる
心理的リアクタンス
新反動主義と極左は、悪い決定を「誤り理論」ではなく「対立理論」で説明したがる共通点がある…
…しかしそれはAlt-rightとneoreactionaryの統計を混同している?
Percent Of People, By Political Affilitation, Who Think Intellectual Failure Explains Bad Politics
Alt-right: 65%
Conservative: 72%
Liberal: 81%
Libertarian: 87%
Marxist: 62%
Neoreactionary: 77%
Social democratic: 74%
新反動主義者は社会民主主義者とリベラルの間に位置する、オルタナ右翼はマルクス主義者と保守派の間に位置する
(根拠が微妙な) DDTに関する信念などを見ると、ヤーヴィンはハーシュマンのいう「反動のレトリック」のようなパターンを無批判に受け入れがちなのかもしれない (少なくともこの場合はあまり調べなかったのだろう)
Mencius:
People, although they think they care greatly about their brothers in the Third World, do not in reality support policies which would actually improve the lives of those people. Quite the opposite, in fact. (See also under: DDT.)
DDTを禁止した結果として多数のマラリア被害者が発展途上国で発生したとして一部にカーソンを非難する声がある。しかし実際のスリランカ政府は1962年の時点で患者が31人にまで減少したことから、国内のマラリアが殆ど撲滅されたと判断し予算節約のためDDT散布を中止したのであって米国発のDDT禁止運動とは無関係だったし、スリランカではDDT散布が禁止されていなかった。
チョムスキー
TGGP:
> Professor Chomsky, for one.
He's wrong. Consider that all the believers in Orwellianism might be as well. Perhaps Kafka or Gogol (or Mike Judge) are more accurate.〔これはオーウェルの小説よりカフカの小説の方がまだリアルという意味だろうか…〕 …
> The root problem with a state church in a democratic state is that, to believe in democracy, one must believe that the levers of power terminate with the voters. But if your democracy has an effective state church, the actual levers of power pass through the voters, and go back to the church.
You sound somewhat like Galbraith/Chomsky on capitalism. I'm with Hayek. It is silly to imagine either hermetically sealed atomistic inviduals unaffected by the rest of society whose opinions are therefore "real" or "valid" vs passive receptables of whatever they're told (many schoolchildren forced to sit and listen aren't even capable of this for even the duration necessary for their grades).
…
>And we surely can't mean that there should be separation of Harvard and state
I think Chomsky might actually approve of that.
…
>What you'll see is that Chomsky is, in every case, demanding that all political power be in the hands of the Cathedral
He views the media and universities as being part of the manufacture of consent, like you, so that seems odd.
…
> 〔匿名のコメント〕Such critiques only demonstrate the hypocrisy and loony Leftism of their authors, not the validity of their claims.
I already stated that I believed Chomsky and MM were wrong. I was saying that MM severely misrepresented the position of the left, which is surprisingly close to a mirror image of his own.
ヤーヴィンは自分は全ての論点においてチョムスキーの主張の反対だと言ったりするが、実際のところ (気づかずのうちに) 鏡写しみたいなふうに似てしまっているのではないかという意見。(もしかするとどちらもウォルター・リップマン経由で似ているのかもしれないが)
ヤーヴィンは大学は悪く言えば"チョムスキー的狂犬病の神学校"になってしまったというが、(人気のあるのは学部生のあいだであって) 大学教授のあいだではチョムスキーはそこまで人気がないようである。
クラインやチョムスキーやランドは、高校生や大学の学部生からは異様に人気があるが、より高度な教育を受けた人(特に、私のような大学教授)らからは、ほとんど無視されているような人達である。
チョムスキー:
Chomsky and Herman are aware of this attack〔陰謀論という嫌疑〕, and begin by saying:
>〔チョムスキーの引用〕 Institutional critiques such as we present in this book are commonly dismissed by establishment commentators as “conspiracy theories”, but this is merely an evasion. We do not use any kind of “conspiracy” hypothesis to explain mass-media performance. In fact, our treatment is much closer to a “free market” analysis, with the results largely an outcome of the workings of market forces. Most biased choices in media arise form the preselection of right-thinking people, internalized preconceptions, and the adaptation of personnel to the constraints of ownership, organization, market, and political power.
ヤーヴィン:
It's hard to avoid noting that this structure of opinion looks like a very effective strategy of divide and conquer. I am not suggesting that anyone had a meeting and came up with this strategy, any more than anyone has a meeting and decides what the price of gold should be today. The market tends to discover effective strategies and stick with them, and political power is no less a market than any other kind of human action.
なかなか似ていると思わないか?
宗教: Universalism
ヤーヴィン: 左派はプロテスタント、特にカルヴァン派、ユニテリアニズムなどに由来する。
ヤーヴィンは左派のことをUniversalismと呼ぶ。
ユニバーサリズム=万人救済説
千年王国の成立後にイエスが再臨
宗教をunexplained explainerとして扱っている?
本人も
と認めているが、言ってることとやってることが違う感じがする
ベンゼンの構造発見が発見者ケクレの夢に起源を持つことは、ベンゼンについて何も教えない 仮に宗教由来だとして、それが何らかの理解に役立つためには宗教をまず理解する必要があり…
理解していないならば、説明や理解を与えるというより神秘化になるだけに見える
ただし、「この考えの由来がこうだから間違っている」というような明確な誤謬推論をしていることは無いか少なく、考えの内容についてのオブジェクトレベルでの反論 (内在的な批判) もしていることが多い (オブジェクトレベルでの反論のウェイトが少ない感じのことはある)
当時インターネット無神論の全盛期だったことで、宗教について注目・議論する動機があったのかもしれない
(これはヤーヴィンの発生論誤謬的議論に対し発生論的議論で返しているが)
高教会派/低教会派
もしある理論の依拠する証拠となる事例が支持者の観測範囲に限定されていたなら、普遍的でないという批判は意味がある…が、そもそもそういう帰納的な議論でないのにそういった批判をするのはおかしいのではないか
アメリカの初期に来た人たち
マサチューセッツ: ピューリタン (移民1620年。ピルグリム・ファーザーズ)
教育を重視、高い識字率、他に比べ所得が平等、規律に厳しい、殺人率・十代の妊娠率は低く秩序のある社会
黒人奴隷は寒かったため輸入できず
ペンシルバニア: クエーカー (ウィリアム・ペン)
信仰の自由、平和主義、男女平等、人種間の調和、死刑廃止
アメリカ独立戦争後、奴隷の所有を禁止
ヴァージニア: Cavalier (イギリス国教会)
ピューリタン革命のときには、逆に国教徒の貴族がアメリカに逃げてきた
大量の年季奉公や奴隷を使用、プランテーション
アパラチア: Borderer (プレスビテリアン)
スコットランドとイングランド (よく戦争をする) の境界に居た戦闘民族がアメリカに移住してきた人々
元々ひどい場所に住んでいたがゆえに、アメリカに強い帰属意識
blue state=ピューリタン+クエーカー, red state = Cavalier+Borderer ?
Time アーヴィング・フィッシャー
American Malvern
カルヴァンがスカート丈を取り締まったのと、環境主義者が石油を燃やすのを取り締まるのが似ているというのは、まず清朝が髪型を取り締まった方が似ているし、「犬と狐はどちらも狼でないから似ている」とか「嘘をつくのと人の本のしおりを勝手に抜くのはどちらも悪だから似ている」というくらいの類似性くらいしかないように思える。
それとも、ヤーヴィンは左派はプロテスタント由来というのは価値判断を表明しているのか。
偶然でも起こりうるくらいの類似性の指摘なので、影響関係の根拠にならないんじゃないの
イエスの「神のものは神に、カエサルのものはカエサルに」というのは、本人が認めるように、ヤーヴィンの立場に近い (政府のphysical securityの拘束力を認めるが精神的な支配には反対する) のだが。
左派がキリスト教由来だという話をする前は、学者はIdealismをすることがあり、Idealismと宗教の違いは無いという話をしているので、もともと左派の学者の話と宗教の違いは無いという結論があって探してきたのかもしれない…
カルヴァン派は新興市民層に支持され、イギリス国教会は貴族や富裕なジェントリに支持された(山川詳説世界史図録)が、これはホイッグ、トーリーの支持層と一致している
(が、ホイッグは社会主義的という意味の左派ではない)
余談: 一般信徒から長老を選ぶ長老主義は民主主義の起源という説もあるそうだ。
系統的分類という分類学の概念を援用しているが、分類学者がやるような、「その特徴が共有されているのは珍しいからそう仮定しないとうまく説明できない」みたいな議論を欠いている気がする。三中信宏『系統樹思考の世界』 系統的分類にも形態学的根拠が多くの場合必要
「後千年王国主義」「地上に神の楽園を作ること」というのが彼が挙げている特徴としてあるけど。ユートピア主義ってこと?
ヤーヴィンは私は神学に興味はないから教義の話はどうでもいい、単に由来と人を表すラベルみたいなものというが、教義がどうでもいいとすると教義を表すためにあるそれらのラベルを使うのもよくないように思えるし、「キリスト教に対する免疫をultracalvinismにも使うべき」という主張も教義がどうでもいいなら正当性を失いかねない(キリスト教に対する免疫は教義に対する免疫以外の何かだというのか?)。
「ただのラベル」であるところのキリスト教と、「免疫 (政教分離とか?) を使うべき」ところのキリスト教の間でモット・アンド・ベーリー論法のように曖昧性があるのでは。
人間の生物学的一様性に関しては、ヤーヴィンはクエーカー主義の"一人ひとりに精霊がある"という考えのようなものと言っているが、戦前は進歩的左派の優生学者もそれなりにいただろうから(アーヴィング・フィッシャー、シドニー・ウェッブなど)、人間の生物学的一様性は戦後に加わったんじゃないかな。(それなり: どれくらい)
もしそうだとすると、遺伝ではなく新たな突然変異という可能性が高いのでは
My big-picture takeaway is that all of these belief systems match an ethical template historically derived from Christianity, and that all of them believe humans are essentially good (ie, they do not believe in original sin). This is the forest.
原罪を信じないのがmainline Protestantとはいったい?
ユニテリアニズムは原罪を否定するっぽくはある
The only reference available to this forgotten episode of American history is a brief Time magazine article that Yarvin found, which calls it “American Malvern,” though that was not apparently what its participants called it. According to this summary, the conference endorsed collectivism, what amounted to a one-world government, and various types of central economic planning, and Time‘s reporter calls the conference “super-Protestant.” To Yarvin, this is proof positive that American Protestantism and Progressivism are one and the same, always have been, and always will be.
……
Nowhere does Yarvin stop to wonder why the conference on which he bases all his conclusions about Christianity was called the American “Malvern.” That was because it followed an Anglican conference in 1941, chaired by the Archbishop of York, later Archbishop of Canterbury, William Temple, which was the original “Malvern,” because it met in that spa town located in the English midlands. The Anglican conference apparently adopted various left-wing policies as well, and the reason the conference Yarvin discovered was called “American Malvern” by Time was because it was a copycat.
しかし共産主義はむしろカトリックや正教の国で政権を握ったが。
Walter Russell Mead has a fascinating blog post up, The Birth of the Blues. In it, he traces the roots of modern American “Blue-state” liberalism back to the Puritans, the Yankees of New England.
paleoconservativeによるCathedralの先駆?
There is significant overlap between the concepts of the managerial state and the deep state, with theorists of the managerial state additionally drawing from theories of political religion and the secularization of Christian concepts, namely Puritanism, [5] which they contend demand an overweening concern with government intervention in favor of social justice, unaccountable regulation of citizens' private lives, and both informally and formally enforced political correctness.[6] https://en.wikipedia.org/wiki/Managerial_state For Gottfried, acceptance of an intrusive political correctness has transformed the religious consciousness of Western, particularly Protestant, society. The casting of “true” Christianity as a religion of sensitivity only toward victims has created a precondition for extensive social engineering. Gottfried examines late-twentieth-century liberal Christianity as the promoter of the politics of guilt.
Mencius Moldbug writes:
It’s a pleasure to see you debating PG〔Paul Gottfired――引用者注〕—my two favorite paleo intellectuals.
Mencius replies:
Thanks for your generous acceptance. I really did mean the compliment. Apart from Steve Sailer, who is not really in the business of propounding a general-purpose worldview, you are pretty much the only paleoconservative I find worth listening to these days. Okay, maybe Paul Gottfried, but he has spent too much time with the Taki’s and LRC crowd. (It is really shocking how liberalism has crept back in through the antiwar gateway.) And moreover, you always, always, always think for yourself. I am so done with these armies of parrots.
“Fundamentalist” is unfortunately the only term that is meaningful to liberals (who, as I’ve argued elsewhere, are fanatical Christians themselves and don’t know it—specifically, if you compare liberalism to Quakerism, you get an almost perfect match). I believe you prefer “traditionalist” and I prefer it as well, but to the NPR listener it means little.
ゴットフリードはpaleoconservativeと呼ばれる。
paleoconservatismによる現代社会の認識/批判として、managerial state, anarcho-tyranny, welfare-warfare stateなどがあり、ヤーヴィンの認識とも共通するところがある。
また、ゴットフリードら paleoconservatism はWW2以前のOld Rightの文献を読もう、という呼びかけをしているが、ヤーヴィンも John T. Flynn や Albert Jay Nock らOld Rightを高く評価しており、さらに他の古い文献も読もうと呼びかけており、共通点がある。
ポピュリズム
ヤーヴィンはポピュリストではないが、ポピュリズムとの類似点もある。なぜか?
1. 同じものに反対している(批判対象の共通性)
psychological securityの話は専門家による統治から生じる問題を表すもの (民主主義も嫌いだが高学歴エリートも嫌い)
2. ヤーヴィンとポピュリストの考えの共通する部分は同じ進化心理学的な認知過程の結果である
3. ハンスハーマンホップ、ロスバードなどが"ポピュリズム戦略"を打ち出していた結果
ペナルポピュリズム