ASDはエゴセントリックなので、アロセントリックとは合わない
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アロとエゴ
アロセントリック
自己の視点に依存せず、環境や他者を基準に情報を表象する視点(環境中心・他者中心)
エゴセントリック
自分自身を基準に外界を捉える視点(自己中心)
空間と認知がある
空間的にはアロが海馬、エゴが後部頭頂葉(身体座標系の処理)
認知的にはアロは他者視点、エゴは自己視点
大人の社会的場面でもエゴセントリックな認知とは「他者を自分との関係性で捉える」立場であり、アロセントリックな認知とは「自分とは独立した他者の視点・心的状態を表象する」立場だと定義できます​
健常者はエゴとアロを使い分けるが、ASDはエゴしか使えない
「アロとは合わない」はsta.iconの解釈
ai.icon
o1pro share
主に造語の文脈で尋ねてるsta.icon
sta.icon
なるほど、こんなの合うわけがないよなー
どちらが正解という話ではない。宗派が違うようなもの
アロは外界教。絶対的な外界神を崇めている。
エゴは自分教。外界神を崇める発想がない。
生成AIのパワーで補助できないかと考えている
視力悪い人は「メガネ」という道具でカバーする
ASDも「生成AIベースの強力な翻訳機」という道具でカバーできるのではないか?