「ように~ない」は曖昧なので使わない
おれは「ように~ない」という言い回しを使わないようにしている
この表現を使わない人が増えると嬉しい
「ように~ない」構文とは、具体的には以下のような文である:
この文章ではMarkdownというマークアップ言語について、HTMLという別のマークアップ言語を比較に出して説明している。私が問題にしたいのは、ここで登場する「HTMLのように」という部分がどこを修飾しているのか、ということだ。この文章において「ように」の修飾先には以下が考えられる:
「HTMLのように」タグを使わ「ない」
HTMLはタグを使わないし、Markdownも同じくタグを使わない。
「HTMLと同じくタグを使わない」のほうが良い。
「HTMLのように」「タグを使わ」ない
HTMLはタグを使うが、Markdownはそれと異なりタグを使わない。
「HTMLと異なりタグを使わない」のほうが良い。
「HTMLのように」「タグを使わない」
HTMLもMarkdownもタグを使うが、Markdownのタグの使い方はHTMLとは異なる。
「HTMLのようにはタグを使わない」とするといきなり明確になる。
もちろん「HTMLとはタグの使い方が異なる」でも良い
MarkdownにタグがなくてHTMLにタグがあることを知っていれば読める、という意見があるかもしれないが、この文章はMarkdownが何であるかの説明であって想定読者にはそれらの知識がないであろう、ということに注意する必要がある
ところでMarkdownにタグがないというのは半分嘘で、GitHubを含む一定数の方言が<img>のようなHTMLタグの埋め込みを認めている。Markdown記法じゃなくてHTMLだからノーカンと見てもよいが、そもそもくだんの文章が主張したかったのはMarkdownは人間にとって読みやすいということであって、Markdownの記法だけでは表現力が足りずHTMLのタグがふんだんに使われている現状において「Markdownは読みやすい」と主張する上ではこれらを無視するべきではない。その意味では「ように」から生まれる3つの解釈はどれにも捉えることができる。
ちなみに「ような」は「ようだ」の連体形(なのかなあ?)であるから修飾対象は直後の名詞だけであり、曖昧性が生じない。これを利用して「HTMLのようなタグの使用法をしない」とか書き換えることもできる。
同じように修飾先が曖昧な表現は気づいたときに直している