造型
Zoukei
大正末期から昭和初頭に活動した左翼的な美術団体。1925(大正14)年11月に岡本唐貴、矢部友衛、吉田謙吉、神原泰など11人によって結成され、12月に「『造型』出生並に宣言」を読売新聞に発表した。彼らの約半数は旧アクションの同人であり、その宣言文ではアクション同様に健康的で楽天的な活動を打ち出していた。また、彼らは同年9月に解散した三科にも関わっており、特に岡本はそのニヒリズム的な傾向から脱却することをも目指していた。
「造型」という会の名称は、当時美術評論家の一氏義良がその言葉を新しい政治的な芸術の呼称として用いていたことに由来する。ただし、新しい芸術を求めるこのグループのなかでは政治的な傾向に温度差があり、神原が楽天的にスポーツと芸術の関わりを説いたことに対して、外部から村山知義が新聞記事で批判を加え、これが後に神原の脱退にもつながる。
同会展覧会では、キュビスムや抽象などが複雑に混じった斬新な様式の絵画が展示され話題を集めた。だが、1927年5月の「新ロシヤ」展に刺激され、次第にネオ・レアリズムと呼ばれる社会性のある表現が同会の中心的な主題となっていく。同年末には左翼的な団体として「造形美術家協会」と改称し、1929年には日本プロレタリア美術家同盟に合流した。
参考文献
『大正期新興美術運動資料集成』,五十殿利治、菊屋吉生、滝沢恭司、長門佐季、野崎たみ子、水沢勉,国書刊行会,2006
著者:足立元