偶然性の音楽
Aleatory/Chance music
いかなる偶然もない音楽実践は厳密にはありえず、また歴史をさかのぼれば18世紀に流行したサイコロを使う作曲ゲームのような例がある。しかし、音楽実践において偶然自体の意義が強調されたのは20世紀以降であり、その理解は50年代に大きく二つに分かれた。 ひとつは音を人間のコントロールから解放し、「自然を作動方式において模倣する」(ジョン・ケージ)手段として偶然をとらえる理解であり、もうひとつは偶然をあくまで音のコントロールの手段とみなし、「管理された偶然性」(ピエール・ブーレーズ)を重要視する理解である。 ただし、ブーレーズやK・シュトックハウゼンらは偶然の第二の理解、つまり作品に柔軟性をもたらすコントロールの手段として偶然をとらえる理解にもとづいて、作品に偶然を取り入れた。前衛音楽家は「チャンス」ではなく、サイコロを意味するラテン語を語源とする「アレアトリー」という語を使うなど、50年代後半には偶然の二つの理解が意識的に区別されるようになり、実験音楽と前衛音楽を分かつ指標のひとつになっていく。60年代を過ぎると前衛音楽における偶然性の用法は勢いを失うが、実験音楽における偶然性の用法はフルクサスをはじめとする非音楽家にも波及していった。 参考文献
『サイレンス』,ジョン・ケージ(柿沼敏江訳),水声社,1996
『ブーレーズ音楽論 徒弟の覚書』,ピエール・ブーレーズ(船山隆、笠羽映子訳),晶文社,1982
『現代音楽 1945年以後の前衛』,ポール・グリフィス(石田一志、佐藤みどり訳),音楽之友社,1987
『実験音楽 ケージとその後』,マイケル・ナイマン(椎名亮輔訳),水声社,1992
『現代音楽を読む エクリチュールを越えて』,ホアキン・M・ベニテズ,朝日出版社,1981
著者:金子智太郎