(☕2)SNS・コミュニティ考
日記の行が増えがちなトピックを分離。基本的に言葉を選ばない、下にいくほど古い。
色んな形でコミュニティに貢献するということ。
目に見える形ではできていないと思う、やっぱり内向性が強いせいかもしれない。うまく扱えない由来の、言葉への怖れもある(他者へ直接向けるという点で)。ポジティブが持っている圧のようなものもある。
相談レベルで実現に至っていないが、言葉の力をテーマにした企画なんかをストックしていたりする。
内向的な人に向いた企画の形式を考えてみたいと思ったりする。アープラの中に静かに行われるナイトミュージアムとか夜のミサがあっても面白そうだなと思う(あーぷらに何してんのか判らない感が出る)。神秘性みたいのは古来より人を惹きつけるのである。科学と対をなす感じがする😎
個を消して企画を作るという目標に向かうのは面白そう、匿名による安心感がある(企画専用のルールは必要かもしれないけど)。
あーぷらの探検要素について
私が入った時にはこの探検を楽しむということが出来ていたように思うのだけど、今の新規さんは出来ているのかなと思ったりする(機能を使ってみる、ログを漁ってみる、チャンネルを使ってみる、のような)。いくつか間違いもしていたと思うけど、特に注意をされなかったと思う。
もし今のあーぷらに私が参加したら、ROM専になっていたかもしれないとも思う。言葉を選ばないで言うならば、今のあーぷらは新規への選別感とか減点方式が強いと思う、〝おっかねぇな〟という感じである。私はそういう所では何もしてなくても緊張が強く出る性質がある(だから最近はINしてないのかも?)。
今思えば、先達はメンターみたいな役割を果たしてくれていたかもしれない。気付かせるという教える側の技術に通じるかもしれない。気付きというのは感動なのだと思う。感動できる場所って魅力かもしれない。
ソクラテスだかプラトン関係にそんな小話があった気がする。
時々、新規さんが骨丸さんかも、と意図的に思ってみる。初心にかえるとか、緊張感と心の余裕とか持てるように💭
相手に100点を求めない、それは自分が100点ということはほぼないってことなのだろう💭相手の話し方が自分にとって足りないと思う時は、自分が気付ける範囲で聞き返して確認していくことも、時には大事なんだろうな。(主に自分のために)
全く知らない人との誤解は多産かもしれない。
外的な脅威やライバルが存在しないコミュニティはどうやって一体感を維持するのだろうか。
未来のあーぷらの魅力たりえる要素について
日本人の苦手とする(らしい)ところの多様性、反全体主義のようなものが老若男女で共有されることではないかと思ったりする。ただし欧米化ということかというとそれとも違うのかも、そもそも国民性が違うのでシステムを同じにしたところで真似の域を出ない気がする(今の政治みたい)。このめっちゃコストのかかりそうなことができると、芸術面(クリエイト)が充実しそう。自由の制限度合いによる芸術性の比較も面白そう。
たとえば〝ソクラテスが何人もいるコミュニティ〟とか考えると私は面白そうとしか思えない。〝コストがかかるから面倒だ〟というのを〝コストがかかるけど面白い〟と、どうすれば見られるようになるのだろうか🤔もはやあーぷらが趣味とか嗜好品と化すしかないような気もする、ただし中毒性の低い感じで。
そう言えば私が自分からコミュニケーションを積極的にしないのは、自分の論理を用いないとっ散らかり着地点ない話法が相手に通じない(とか不快そう)というのを薄々感じているからで、今のあーぷらは論理が共通言語なのではないかと思っているのかもしれない。自己淘汰かどうかは判らないけど、現在のあーぷらの共通言語を話せる人達で歴史を動かしていけばいい、と一種の適材適所のようなものを考えていたりする。
創意工夫の隙のあるコミュニティ。未完成、進化ingというのはとても魅力だと思う。美人は三日で飽きるというし。
そう言えば骨丸さんは「今年大きなことがありそうな気がする」みたいなことを言ってたような気がする。それはもう起こったのかしら。
たしかに。というか骫さんはいずこへ……
あーぷらが死に体みたいになった時に降臨されるのではないかと思ったりします(創造神かな?)こひつ.icon
先達の言葉を思い出す。「相手のこうしたほうがいい、に従う事は私自身の言動ではない」的なメッセージは、自分軸を持つことと、自分軸を他人に押し付けないことの参考になっている。
あーぷらの場合、以前の議論の激しさには闘技場みたいに人を留める要素があったのではないかと思う。定期的に刺激があることが定着を生むのかもしれない。ただしこの定着はROMを続けるか、という気持ちの割合が高いような気がする。
昔も今も人の対立が娯楽になっているのだろーか。
ゴシップもネットプロレスもインターネット上では人気高いですからねぇ。それはそうと今日「シソテツ派」を作ってクーデターを起こしたら皆燃えてくれるんじゃないかなぁって思った。競争が肝。集英社と小学館は実は同じ会社だけど敢えて競わせているって焼きたてジャパンで言ってたuvoa.icon
なるほど.icon~、競技と思うとまた面白いし、競争心がある人にとっても娯楽になりうるのかもしれませんね🔥さすが焼きたてジャパンなのである😋こひつ.icon
今のあーぷら(ディスコード)を自分がどう感じているか。
活動や発言が減ったのは発言しにくくなったのかな。滞在期間が長くなり、探検が終わった感はある。
新規さんの探検や化学変化が見たい、話が読みたいというのもある。
確かに探検が終わった感がめちゃくちゃあるuvoa.icon
ねw 将棋を打つよりお茶を飲む時間が増えた感じです🍵🧓こひつ.icon
〝過疎化に関する考察〟がトレンドなのかな👀。直接は関係ないけど、創作期間は人の集まりから遠ざかる傾向が自分にはある(家の中の会話も減る)。メモリが創作でいっぱいになってしまう。
活気がある海外コミュニティは新しい人達が代わる代わるで書き込み更新しているように見える。新参さんを歓迎するムーブ、というより新参・古参ぽさが薄い。テーマのあるチャンネルでも会話調(スラングが基本)の軽く短いやりとりがある(とはいえ引っ張ると注意が飛ぶ)。ルールには権威がある、彼らはどのようにそれを構築したのか。
もしかしたら、海外コミュニティで交流に入っていない運営陣は、別垢を作って他のメンバーと同条件で交流しているのではないかと何となく思う(プライベートと仕事的なやつ)
年老いたコミュニティには新参と古参、言論の一方向化(優等生優遇的な)問題などが浮上する。
海外の人は大陸的な多文化交流のある中で育つから、特に何もしなくても多様性には自然に対応できるのではないかと思う。喧嘩慣れもしていそう(力の加減的な意味で)。
総数が増えるよりアクティブが増える方を重要視している。私の言う〝新規さん〟はROMからアクティブに変わった人を含むのである。
しかし期待を表に出すのは良いことばかりではない気もする。期待に対する反応も人それぞれだから。
自分はネットはノマドみたいに楽しんでいる。コミュニティは点在する集落や都市で、活気があったりなかったりの変わるものだと思っている。草が美味しいところに馬を走らせるようなもので、気に入ればその街に家を建てたりもする。アープラノートやスクボは自由度が高く静かで居心地が良い。←たぶんこれは自分の好きな環境なのかも。あとは自分に合ったアウトプットの方法を見つけたいな~。
uvoa.icon 良い考えですね。インターネットの歴史から見ても「分散」というのが根幹にありますし、それは理に適っていて健康的でむしろ全然良いと思います👍「過疎論」とか運営話になると、実際の運営の人への圧みたいな雰囲気がもしかしたら出てるかもしれないので、お心苦しくさせていたら大変申し訳無いです🙇。
分散、なるほど.iconです!私は色んなオンラインゲームのギルドシステムで育った感じなのですが、その間にもコミュニティが分裂したり乗っ取りがあったりと、自分で思っている以上に見ていたのかもしれません💭そのようなことがあって、今は1ヵ所に執着しないスタイルを選んでいるのかもしれません。圧のようなものはあまり感じていませんしアクティブな方が議論しているのを拝読するのは楽しいです。私の言動や考えは運営に向いていないかも、と思っているくらいですwこひつ.icon
ゲームギルドですか!めちゃくちゃおもしろい経験してますね。こひつさんの人間理解がやたら高い秘訣はそれだったんですね。。。私もゲームしよう。サクナヒメ積んでるし。uvoa.icon
サクナヒメ、ヴァニラだと思ってたら違った(面白そうですね!)w 私も最近はもっぱらオフラインゲームにハマってます。自分が面白いなと思う作品は、本や映画と同じに作者(製作)との対話みたいと思います😇 次のセールが待ち遠しい~!こひつ.icon
TwitterみたいなタイプのSNSは交流を始めると積極的に話題を更新しなきゃいけなくなる(気がする)。タイムラインの流れが常に見えるからかな~。私にとって漂うには急流すぎる。あとスクボでもツイッターの画像が表示されるようになるといいな。専門家の興味深いトピックが沢山あるし引っ張って来れたらいいと思う。
なかなかサロンに情報を投下するという選択肢が思いつかない。長く過ごしているうちに自分の中で、トピックに対する格式のようなものが構築されているのだろうか。もしくは投下することに一種の責任があるとでも思っているのだろうか。交流を弾ませるということに自分が後ろ向きなのかもしれない。サロンは共用部分、家と同じようには振る舞えないよな~。それにつけてもお昼はニンニク醤油で焼きおにぎりにしよう。
久住哲.iconTwitter画像はスクショを貼るしかないですね〜。ちなみに、ツイートのURLをコピーしてCTRL+SHIFT+Vで貼り付けると、本文ごと貼り付けられます。(ツイートをScrapboxに貼る) 何という便利機能!ありがとうございます🙏こひつ.icon
SNSをしていて思うのは、アクティブな言動は発信者の〝他者に影響を与えたい〟欲望なのだろう、それは支配欲と言えるのだろうか🤔 たとえば〝フォロワーのリプに反応する描き手〟にはフォロワー側が影響を与えられると無意識に感じて、応援という形の影響を送り続ける。描き手の中には反応数が気になるようなタイプが少なからずいて、反応数の多い画風を研究し描くようになる。それが描き手の描きたい画風であれば対等なのだろうけど、そうでない場合、描き手はフォロワーに従っているに過ぎないのかな、反応数というご褒美のために。
このたとえのフォロワーは筆絵を持たない表現者って感じだ。
でも人って一度出会ってしまうと、いないことすら影響になってしまう……これいかにw