西洋哲学史:ギリシャ哲学(ピュシスと物活論)
〜古代ギリシャ世界のピュシスと物活論について〜
ピュシス
ギリシャ語で自然を意味するピュシス(φύσις=physis)は、φύω(=phyō、生む、生れる、生える)の語幹から派生した言葉と言われる。
またラテン語では自然はナトゥーラ(natura)と呼ばれたが、これは nascor (生まれる)の語幹から派生した言葉である。
さらにサンスクリット語のprakrtih(自然)においてもprasu(生む、生まれる、起こる)といったように同じパターンが見られる。
これらのことから〈生まれる〉という点に着目して自然を捉えるような基本的発想が、欧印諸語族分岐以前の共通の源言語の中にあったようである。
端的にいえば、自然は自然発生性として捉えられていた。
そして自然ピュシスという語は太古の昔からギリシャの人々の意識の深層に根付く集合的無意識とも言える潜在的概念であった。
またピュシスは人間と相対する対象としての自然ではなく、内に生命原理としての魂(プシュケー)を持つ有機的自然であって、人間や神をもその一部に含む本性としての広い意味で了解されていた。
ハイデガーは『形而上学入門』の中でピュシス(自然)は「存在者(das Seiende)」ではなく、「存在そのもの(das Sein selbst)」と表現することで、自然概念(ピュシス)の根源性を語っている。
物活論
ハイロゾイスム(hylozoism)
古代ギリシャの人々は、今日のように物質と生命とを切り離した無機的、機械論的な思考法とは違い、すべての物質(hylē)は生きている(zōion)と考えた。
物質はそれ自体に生命力や霊魂を持つ有機的な生命であるという感覚は、タレスが磁石が磁力を持つことからその生命を説明し、万物は神々に満ちていると言ったことに通底する感覚と言える。
ただしイオニアの自然哲学者たちは万物の始源を一元論的に捉えようとしており、物質それぞれに独自の生命を想定していたとは限らないことに注意する必要がある。
尚、物活論という用語は1678年にイギリスの哲学者ラルフ・カドワース(Ralph Cudworth)によって考案された。
コメント(ご自由に書き込みください)
ピュシスや物活論についてはイオニアの自然哲学を学ぶうえで知っていると彼らの哲学が少しはしっくりくるかなと思いまとめてみました。
それでも約2500年も前の遠く離れたギリシャの人たちの思想を感じ取るのは難しい…
スイッチを押せばぱちっと点いたり消えたりする電気との生活の中にもっとろうそくを灯す時間を増やしてみようかな。CLAVIS.icon