表現の自由戦士
「表現の自由」に関する議論で出てくるおそらくは定義できない何か。 表現の自由戦士とは、いわゆる表現の自由界隈への蔑称とされている言葉である。
素晴らしい記事(個人評)。
「表現の自由戦士」はアニメ・漫画・ゲーム表現について全面的な自由を主張しながら、アニメなどを批判する人がいると「表現の自由の侵害だ!」「表現規制派!」とすぐに主張し、さらには批判を「放火」「燃やされた」「殴られた」とあたかも犯罪行為であるかのように形容することでもよく知られている。しかしながら、表現とはアニメ・ゲームなどの創作表現にとどまらず、あらゆる言論や批判などの形態もまた表現であり、「全ての表現の自由」を認めるのであれば「批判の自由」は当然ながら表現の自由として認められるべきものであり、断じて批判は「表現の自由の侵害」「表現規制」には当たらない。リバタリアン的世界において表現の自由の侵害にあたるものがあるとするなら、それは国家が表現の自由の介入しようとしたときである。
つまり、「表現の自由戦士」は「反表現規制派」とも異なる何か。表現の自由に関するあらゆる批判を封殺しようとする存在。