茅野蕭々『ライネル・マリア・リルケ』
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ライネル・マリア・リルケ
一
ライネル・マリア・リルケは一八七五年一二月四日今のチェッコ・スラヷキアの首府――当時独逸領ビョエメンの都市――プラアクに生まれた。古い貴族の後裔であるという。彼の写真を見ても、其中正な鼻と、痩せぎすな上品な頬の線と、広い額と、澄み極って凄味さえある眼眸とは、明(あきらか)に彼が高貴な血統であることを思わせる。小さな時から孤独と平静とを好んだことは、彼の自叙伝とも云う可き小説『最終の人々』にも覗われる。名族の最終人としての自覚が夙うから彼の重荷となっていたようである。彼の最も愛したものは、絵本、人形、銀糸、孔雀の羽根、静(しずか)に揺曳する白雲等であったというから、彼が如何に女らしい小児であったかが想像される。或る評家がリルケを名づけて婦人魂(フラウエン・ゼエレ)の所持者と云ったことも思い合わされる。父に就いては彼は多くを語らないけれども、蹉躓(さち)の人であったことは推測するに難くはない。そして稀に父に向けられて辞句も愛に溢れた調子を帯びて居ることは殆ど無く、唯一度基督生誕節に捧げられた子供らしい歌の中に「クリスマスの樹の下の我が良き父よ」と云われている位のものである。之に反して髯のあるその顔は折々実際に浮き上がって、見知らぬ、敵意ある仮面の象徴として『時禱篇』中に現われる。
一体人は父を愛するか。……
彼の枯れた言葉をば、稀に読む
古い書物の中に置きはしないか。
人は分水地からのやうに、彼の心から
離れて快楽と悩みとに流れはしないか。
父は我々にはあつたものではないか。
異つて考へられた過去の歳月、
古ぼけた身振、死んだ衣裳、
咲き衰へた両手、白むだ髪ではないか。
その上(かみ)は英雄であつたにせよ、
彼は、我々の育つ時、落ちる葉だ。
又
彼の気遣いは我々には夢魔のやうだ、
彼の声は我々には石のやうだ。――
我々は彼の話を聞きたいが、
言葉は半ば聞こえるのみだ。
彼と我々との間の大きな戯曲は
互に理解するには騒がし過ぎる。
我々は綴が落ちて消えてゆく、
彼の口の形を見るばかり。
云うまでも無く此詩に於ける父は真実の父を指して居るのではないが、こういう象徴として父を用うる処(ところ)に、彼が父に対する暖かでない心を裏切るものがあるように思われる。そしてそれは単にリルケの個人的の体験によるばかりではなく、其後独逸文学に於て極めて顕著になった「父子の契機(ファタア・ゾオン・モオティフ)」、即ち父に対する子の反抗と非難の先駆が既に隠約の間に認められるような気がしないでもない。之に反して母に関する追憶は種々の作品に、優しくまた暖かく現われている。彼が常に切実な感謝と愛慕の情を母に寄せているのを見れば、此の婦人が如何に豊かな愛をこの神経質な小児に傾注していたかがわかる。「私は屡々自分の母に憧れる。白髪を頭に戴く静かな婦人に」と云い、母を聖母とも恋人とも思い、裳裾を長く曳き無限に優しく手を撫でてくれる天使のようにも、また冷たく蒼ざめている『受苦聖母(マアテル・ドロロッサ)』とも、基督の死骸を抱いて泣くピエタの姿とも眺めた。「父」の中に敵を見出しながら、「母」に対しては概して同情と理解とを示している新時代の風潮が、夙に此処にも動いているように観測される。
しかしリルケの詩作の中で重要の役目を演じて居るものは、独り血族の中の最も近しい者のみではない。否な寧ろ距離によって一層強められたもののように、遠い祖先が屡々その対象に選ばれて居る。これは後に稍々詳細に述べたいと思う彼の自我模索の一階梯としてではあったが、彼の視線は未来に向けられずして先ず過去に延びた。そして最も幸福な時間にあってさえ、祖先等の生活にそれとパラレルを成すもののあることを指摘せずにはいられなかった。パウル・ツェッヒの云うように、「彼はただ総べての現在の中の過去を生きて居る」とも考えられる。「私は父の家を持たず、また失いもしなかった。……私は幸福を持ち悲哀を持つ。そして総べてを独りで持っている。それでもなお私は色々のものの相続者だ。私の族は二つの枝となって森の中の七つの城で花を開いた。そして紋章に疲れて、最(も)う古くなり過ぎている」と彼が云って居るように、リルケは自己の祖先であった異教的国王の生活に自己自身を見出したのであった。それは前述の小説『最終の人々』の他に『ランゲナウの主、旗手クリストオフ・フォン・リルケの愛と死の道』を読む者の、必ず心づく処であろう。