腕の関節の比喩
肘ってありますよね。
肘って曲げられない方向があるじゃないですか。
なんというか、肘がある方向には曲げられないですよね。
関節があるので、そうなんですけど。
すなわち、腕の運動は肘によって(関節によって)制限されているわけです。
360°曲げられたら、もっと自由ですよね。
360°曲げる方法があります。
関節をなくしちゃえばいいんです。
タコ人間みたいになればいい。骨を砕いたりして笑 そうすると、ベクトルフリー
しかし、そうすると、「腕で重いものを持ち上げる」といったことが不可能になる。
腕の可動域が自由になることで、出来ないことが出てくる。
なので、制限が必ずしも不自由にのみ繋がるのではなくて、制限があることによって出来ることもある。
ところで、この関節による可動制限というものは、たまたま時々生じる制限ではない。
「今から腕を曲げないでくださーい」とか言われて、曲げたら鞭で叩かれるといった制限ではない。
身体の仕組みとして、身体に備え付けられている制限である。
私たちは「まず可能な身体運動パターン全体がある」と考えがちだけど、そうではなくて、「まず骨や筋肉や関節の構造がある」のであり、そしてそれらはむしろ「無限に可能であってもいいはずの運動パターン」を制限している。
私たちがはじめに出会うもの、すなわち、「全体」だと思っているものは、制限の結果である。
という考え方。
逆に言うと、私たちが素朴に「可能な全体」と考えていたものを、可能たらしめるものがあり、全体として輪郭づける(限界づける)ものがある……ということ。