紅旗征戎吾が事に非ず
藤原定家が『明月記』に残した文
治承四年(1180)九月、定家十九歳
同年に以仁王の挙兵があり、以後六年にわたって源平の争いが続く
治承・寿永の乱
二見浦百首に先立つこと六年
ただ辻彦三郎は「定家の手による後年の追補である」としているようだ
https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000114725 白氏文集の中で「紅旗征戎」の載っている詩がどこにあるか | レファレンス協同データベース]
『白楽天全詩集』復刻愛蔵版(佐久節訳註、日本図書センター、1978年)
の第2巻、p696-697に、原詩、読み下し文、字解、題義、詩意が載っている。
表現は白氏文集の句に由来する
紅旗破賊非吾事
「劉十九同宿」唐・白居易の一節
紅旗征戎 - ウィクショナリー日本語版
紅旗征戎非吾事
(訓読)紅旗征戎吾が事に非ず。
(意味)大義名分をもった戦争であろうと(所詮野蛮なことで、芸術を職業とする身の)自分には関係のないことである。