箱男と見る/見られること
覗き窓から覗くという技
P11~、覗き穴のビニールの隙間。嫌味な眼差し。数少ない護身術。「見る」という武器。
匿名性
昨日、アレクセイさんが言っていた匿名性の話(覗き覗かれるの関係)。確かにこの物語のテーマのようなものかもしれない。P117「人類は毛を失ったから、衣服を発明したのではなく、裸の醜さを自覚して衣服で隠そうとしたために、毛が退化してしまったのだとぼくは信じている(事実に反することは、百も承知で、なおそう信じている)。それでも人々が、なんとか他人の視線に耐えて生きていけるのは、人間の眼の不正確さと、錯覚に期待するからなのだ。」
匿名であることと、見る見られる状態にあることの関係を作品内で考察(実験)しているような印象は確かに受けますね。
見る見られるの要素
見る/見られる、覗く/覗かれるとか何か社会的だったりエロスな要素も含んでいて、複雑ですが面白かったです。
作中に書かれている落伍者感覚をホームレスは多大に感じているかもしれない。これに関しては、写真(P36)とともに書かれている「見ると見られるの関係」が関係しているのかもしれない。
見ることの一方性
箱男は相手を見てはいても見られる立場から開放されているのかもしれない?
「ぼく」はノートを書いているが、ノートは拾い主などに「読まれる(覗かれる)」のを前提に書かれている気がする。そこも覗く/覗かれるの構造に関わるだろうか?ノートにより内面を書き、他者に覗かせているのだろうか。
カメラマンという職業
箱男の前歴がカメラマンなのも、箱男としての素養をほのめかす描写なのか。
箱男の経歴、P41「じつを言うと、箱男になる前、ぼくはやっと独立したばかりのカメラマンだった……」、P94「あれはたしか~」Bのエピソード、P116「ふと思い出した~」トンマ、
箱男の影の薄さ
作中の箱男は社会的に存在感がほぼないかのように書かれているのか。異物感が薄い。
いてもいなくても同じ存在?
皆いないも同然にしている。
p50 死んだ浮浪者黙殺の新聞記事。愛がない感じ。
箱を被せることの機能
透明人間ではなくて、箱を被せるというのは面白い。箱男だけではなく作中の社会全体に違和感を感じる。
箱という装置だけで無いものとして扱われるのは演劇的な感じもする。
異化だが匿名性(逆説的)
「見る見られる関係」との関連性?
P116~学芸会のエピソード。
安部公房は演劇もやっていた。
「愛の眼鏡は色ガラス」という戯曲のタイトルも、「見る」ことに取り憑かれているイメージ
見る/見られるのコントロール
社会は技術の進歩などで「見る」力が強くなっている。それと連動して「見られる」ということも変化していっている。近現代ではプライバシーのように自己イメージを自分でコントロールする権利を尊重される時代になっている。箱を被るということはそういったコントロールのひとつの極地。そういった「見る」「見られる」のような情報のコントロールや匿名性の問題はすごく現代的で、今でも色々考えられる。
見られたくない
「見られたくない」というのは相手の内面への恐怖もあるのか。そう考えると葉子の内面への関心が薄いのも割と納得できるかもしれない。
メタルギアソリッドとの関係
メタルギアというゲームの主人公スネークは箱男モチーフなのか。段ボールを被ると敵から視認されなくなる。 https://gyazo.com/109ab0d8eb8bbe9b3562be28b31276e7