箱男と写真
『箱男』の「ぼく」は元々カメラマンである。
他作品
『箱男』作中に頻出する「写真」のモチーフは同作者の『燃えつきた地図』(1967年)でも使われていた。 昭和文学全集(第15巻)版の冒頭写真。
https://gyazo.com/2066d476a499a9fc229a86f3ffc07ef9
文庫の表紙がかっこいい
The Box man. 安部公房の撮った家の写真。歪んでいる。
色んな箱男についても語られているし「A box man」の方でもよさそうですよね。
boxって座敷の意味もあるんだな。座敷男だね。
withの方が正確?(所有してる系ならwithな気がしたけど箱の中という意味ならinの方がいいのかも。どうでもいいことかもですが笑)
日本語英語かもしれないけど、ザ・って”まさに、これこそ”みたいな意味合いで使われますよね。だから英語のtheのようにこの、っていう特定ではなく、これが箱男ってもんです、って意味の表題ならわかるかなと。
P197にも→カーブミラーに映った姿?
P33~36、P197~200、写真と文章。(ちなみに新聞記事風の文章、P6とP50。)
作中の写真は「カメラマンの箱男」が撮ったもの?
『箱男』で数枚の写真が挿入されているのも実験的に思えてきます。小説という文字だけで構成された形態に写真という視覚的なものを挿入する。個人的には今であっても新しいなと感じました。
写真と文章
基本的に小説において挿入される写真や絵って本文の説明を補足するためだと思うんですけど、『箱男』の場合は本文の補足というわけじゃないように感じました。なんのために入れたのか分からなかった
『人間そっくり』にも文脈にはまらない文だったか比喩が入ってたな。 よくわからん説明文みたいなよくわからんポエムみたいなのがついてる。
写真とキャプションも若干噛み合ってないって思ったんです。他の方はどんな印象でしたか?
私はわりとしっくりきましたね。本文とは別に関わりないけども。
あ、それ気になってたんです!差し込みの位置がすごいめちゃくちゃすぎて、本文が読みづらくなっちゃってるんですけど、あれって文庫の都合ですかね?
安部公房の方でもそうなので意図的にやってることだと思います。
皆さんが言うようにわざとっぽい。
安全装置をとりあえず のp33ですかね。安部公房全集だとp41。
あわてて送ったぼくの懐中電灯の合図も無視して、の後ですね全集だと
別に文の途中で写真が挿入されることに違和感はなかったです
新潮版だとこういう切れ方をする
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昭和文学全集版
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旧新潮社版
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別に途中にあっても変だとはおもわないのですが…。
写真の挿入位置にこだわっている作家誰かいたっけな……。
月賦制度についてかいてるとこ。身分、職業、住所からの自由。
むしろサバイバルとしての箱男は泥臭すぎてむしろ匿名感がないんですよね。特異な浮浪者としての自分を逆に固定してるというか。青井硝子や坂口恭平が現実に軽トラや移動住宅で、身分、職業、住所になり世間を彷徨った挑戦に比べると。 このへん、匿名という身分の変遷とちょっとシンクロしてるかもしれない。
この二者に対して箱男が優れているのは、箱への書き込みという、作者としての匿名性の強さだと思うのです。共同作者として融合するというか。