磯部浅一
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磯部 浅一(いそべ あさいち、1905年(明治38年)4月1日 - 1937年(昭和12年)8月19日)は、日本の陸軍軍人、皇道派青年将校。
陸軍幼年学校、陸軍士官学校(38期)を経て陸軍歩兵将校となるが、中尉の時に経理部に転科した。陸軍一等主計の時に、陸軍士官学校事件により停職、「粛軍に関する意見書」配布により免官となった。二・二六事件において決起将校らと行動を共にし、軍法会議で死刑判決を受けて刑死した。
三島由紀夫は磯部の「獄中日記」を高く評価し、磯部手記が掲載された『文藝』1967年3月号に『「道義的革命」の論理――磯部一等主計の遺書について』を寄せている。三島の晩年の作『英霊の声』は磯部手記からの抜粋が含まれている。一方で、殺害された齋藤実の縁戚であった有馬頼義は、被害者のことを考えたことがあるのかと三島を批判している。