疲労から来る過集中についてのぐるぐる(kluftrose)
2022/07/14(木)25:34
0:00ごろには布団に入ったのに(パイプベッドだ!)色んなことで頭がぐっちゃぐっちゃなのでこちらが最適かと思って書きにきた。
うっかり日記を上げてしまった。
今たぶん私のことを心配してくれたり気にかけてくれている人に喋りたいことは実はたくさんある。ただ、それらがあまりに整理されておらず、一人の人に押し付けるには妥当な話ではないと感じるのでうまく言語化できない。
情報の取り込み過ぎが、主な原因だと思っており、今の私が下す判断は心許ない。
特に安倍元首相の襲撃事件の後にそれは顕著になったので(3日前くらいから喉は腫れていたので免疫さんが何かと闘ってはいたのだと思うが)、見届けたい癖は本当にやめたほうがいいよなあと思う。ある種のこだわりである。
本音をぼやかして書くとそれはそれで被害が甚大なので(ぼやかす分)、怒りのやりどころがない。
男性社会では男性が裁かれがちなのはこれまで見てきたのでそっち方面でサーバーに期待をしていない。
(もちろん本件に限った話である)
貢献ってなんなのかね、というのもまあ何もしていないkluftroseの本音である。
感情的負担から住人を解放するのは是だが、無駄に見える話し合いを(運営室ではなく)表で続けられないことに意味についても思う。
(思想哲学の問題については異論はなし)
自分と重なる(勝手にであり、本来その人の選択の自由や性格や環境、年齢の違いは大きい)相手について本気で悩みすぎて自分で運営室でムカアウトしている始末で、私に注目して欲しくてしたわけではなく説得力のためであったが、全くいらない情報だと思う。
また、細部の現代との違いについても説明するだけ具合が悪くなる可能性があるので人の想像に任せるしかない。
(まあたぶんみんな1日で忘れる程度のよくあるカムアウトに過ぎない)
結局自意識過剰で苦しんでいる自分に嫌気がさしてサーバーを抜けたというのが正解に近い。誰にも相手にされない(一部声かけをしてくださる方がいたが)状態というのもしんどかったが、それがサーバーの優先事項でもない。
別に私は正しいわけでもなく、正しさを押し付けたいわけでもない。単に、物柔らかな言い方が身に付いていないだけである(特に文章では)。
一番の違いはおそらく世代なのだと思う。
なので無理して数名のユーザーを萎縮させてまでボイチャに入ろうとは思わなくなった。
若いからできること、同時代性を老害が質問魔になってまで冗長にしたいとは思えないし、まあそこまでの体力がない(とっとと寝ろ)というのが私の生活の原理なので(他の人は起きていても文句は言いたくない)。
ボイチャに落ちていて以前は、ふとなんとなく訪れた人の深刻な話題になった時も話していられる元気があったのだが、母が亡くなってからはこっちが重くなってるので、母の話は原則ボイチャでは一行にとどめてほぼしないが、自分の本音と喋ることの乖離も激しい。
老後2,000万問題を頭から信じた家族が相続をする予定にも関わらずお金がないと言い出して、思い出のあるものも全て売ると言い出したことがダメージがでかい。母のものが全て家から消えていく。祖母のものも。
そう言ったダメージ、行き場のない怒り。
振りかざすにはあまりにも相手の小さい怒り。
被害にあった頃の自分が求め、得られなかった事事が、今得られると考えるほどお花畑でもなく、当時の私は誰も信じておらず、大人の語り掛けも優しさを感じながらも、疲労も感じ、見くびっていた。それが自分でものを考えるということの芯でもある。全て間違いではない。
いつか届けばいいし、届かなくてもいいのだ。その覚悟が私には足りない。
脳内ダダ漏れなので、かあいそうな拗らせた中年の夜中の日記として読み飛ばしてくれたい。
2022/04/27(水)26:35
私が今だーっと書きたい文章はおそらく普通の生活の中では暗いものとして他人の感情を少なからず引っ張るものとなるだろう。
その是非を考えてアープラノートからの撤退も視野に入れている。(そも共同編集という醍醐味から外れている)
主治医にアミノ酸を処方されてから、プラシーボ期間だと思うが、日中身体が重くなくなってきている。主治医の説明ではタンパク質や鉄分と結合してセロトニンが出やすくなるらしい。
(今の私はドーパミンが出過ぎている疑いがあり)
なにを一体書きたかったのか忘却して、今日もろくな更新ではなかったな。
(了)
2022/04/19 1:24記
なにかスマホ依存に似ている、と思って集中というiOSアプリを入れて、ユーザー補助機能で画面をグレースケールにしてみた。 寝る前の処方薬を飲んだ。
あ、昨日の夜から思っていた頓服を飲む、という切断行動を忘れていたので今する。
飲んだ。
気がつくと徴候を見つけて祖母や母のことを考えている。
それは近すぎて思えなかったことを遠くへ行ったいま、家族について思うという思い遣りでもある。
正座した左足いたいw
たぶんなにかのエネルギーが余っている状態が、母が亡くなってから、そして19歳のあとから続いている。
シマウマ日記でも書こうかというくらい私には(自分にとっては)ショックな出来事が多い。でもそれらを黙って耐えて生活を送る人もいるのだと思う。
(↑どちらがいい悪いではない)
私に足りないのは手仕事。
料理しようぜ!
お料理動画を見るのを忘れていた。
サルトルも読まなきゃ。
ラカンはわからん(よくある駄洒落)
ラカン本はたぶん入門的なのを2冊しか持っていない。天野可淡のご友人の作家さんのおすすめで(悪文)藤田さんの日仏会館セミネールには何回かお邪魔したことがある。
ずっと量子力学の話をしていた。だいぶ忘れてしまったがノートはまだ実家に残っている。あれは意味ありげなバインダーに入っているので捨てられはしないと思う。
クラインの壺の話をずっとしていた。
そして時々初心者のために一から量子力学の話をしてくれた。
それは置いておいて。
理解はできないが、解離や過集中になると永井均を読みたくなる。哲学探究2冊詰んどる。
スタートが遅い分生き急ぎすぎて、一つ所にとどまれない病気になったようだ。
このスラッシュ感はPTSD後に起こった症状で、解離の一種と見ている。
ひと一倍くらいあった集中力を無くしたのがその頃。
なにをやっても中途半端なのは、生来の気質であるとは思うので、添え木を使ってコントロールするしかないし、その技がある現代に生きていてよかった。
小説だけが、20歳頃までの私が唯一家で邪魔されない表現だった。しかしそれもシマウマ体験で失ってしまった。
軽くリハビリ中だけど、他の同年代の人たちは仕舞いを考える年齢であったりする。
まあそのことに迷ってもできなくなる日は勝手に来る。
たぶん処方薬が効いてきて頭がぼんやりしてきたので素直に寝てみよう。
また過集中関連のことが意識されたらここに更新します。
1:49(了)
※あくまでkluftroseの独自独学による言語の使い方をしているので、これが正解、というものではありません。