疑念と信念
パースのThe Fixation of Beliefにおいては、
これは最初は、論理学の問いのなかで想定されているものとして出てくる。
疑念:問いを発したくなる状態
信念:判断を下したくなる状態
我々の信念は我々の欲望を導き、我々の行動を形づくる。p151
信念は行動を用意し、疑念は探究を促す。p152
現実の生きた疑念がなければ探究ははじまらない。
これがなければ議論は無価値になる。
この話では、デカルト主義(あるいはデカルト)が念頭に置かれている。
疑いえないと論証された前提から始めるな……とパースは言っているように読んだ。p154
じゃあ、どうするか?実際に持っている信念のセットからはじめればいい。
意見の確定は探究の唯一の目的であるp153