現代音楽にまつわるなんとなくメモ
「殺したのは誰か」という話が目立つと謎解きがテーマになってしまう。音楽も同じで、例えばポリリズムが目立つとそれがテーマになってしまう。
音楽の中で何が「目立つ」かというのはポイントで、そういった音と音との力関係というのかな、力学みたいなんがあるわけです。この力関係を一旦解体してフラットに扱ってみようというのが十二音技法。 十二音技法は1オクターブの中にある12音を全て一個ずつ使い切るというシンプルなルールに基づいた作曲技法です。このルールに基づくと、音の並びは決まってきます。これを音列といい、あとはその音列を移高させたり逆行させたり反行させたりするぐらいです。最初に音を決めると、そのあとに使う音も機械的に決まってきます。決定論みたいなものですね。 十二音技法をさらに発展させたトータル・セリエリズムは、音の高さ以外にも強弱、長さ、演奏法なども機械的に決定していこうという理論です。もうこれは、あらゆる設定がガチガチに決まってきます。現在でもDTMなどでさまざまな音のパラメーターを設定しておくということがあると思いますが、厳密性に追求していくと人力でやるとツライので、つまり機械との相性がよくなっていきます。 しかしこういった技法を用いられているとはいえ、西洋音楽の基本は作曲家がパラメーターをスコア上に示しそれを演奏していくものでした。
で、さらにジョン・ケージなんかは作曲家の力自体を消してしまおうと考える。ジョン・ケージのチャンス・オペレーションてのは偶然性の採用がよく言われる。音の要素をサイコロやコイン投げで決めるんですね。しかし一番ポイントなのはそのプロセスにより作曲家の意図や存在を徹底的に取り去ることで、スコア上の作曲家の存在を透明にするということなんですね。 ジョン・ケージが西洋音楽の既存の音楽観の解体というのは音楽スタイルもそうなんですが、西洋音楽に身についていた作曲家とか指揮者とか演奏家とか聴衆とかいうより大きな力関係を解体しようとした人なんですな。