漢文訓読法
音読は中国漢字音ないし日本漢字音で、漢文をそのまま音読する方法。
訓読は古くは和読とか倭点ともいい、漢文を日本語の古典語に直す定型的訳読法。 例えば、漢訳仏典の『般若心経』の「色不異空、空不異色」は、音読すれば、「シキフイクー、クーフイシキ」となり、訓読すれば、「色は空に異ならず、空は色に異ならず」となる。 漢字文化圏のなかで、漢文を訓読するのは、実は日本だけである。
中国人は現代中国語の漢字音で漢文を読む。
韓国人もベトナム人も、それぞれの漢字音で漢文を音読する(今日の韓国では音読の途中で、ところどころ自国語の助詞や接尾語を短く挿入して読む)。
漢文を訓読するために、漢字の上や脇などに書き加える文字や符号を総称して「訓点」と呼ぶ。 訓点を施した最古の文献史料は、八世紀末ないし九世紀初めに現れる。
しかし、訓点が発明されるよりずっと前から、日本人が漢文訓読を行っていた可能性がある。
漢文訓読の萌芽はおそらく、飛鳥時代には存在していただろう。
ただし当時はまだ、訓読のしかたを示す訓点を漢文の原本に書き記すことはなかった。
純正漢文であれ和化漢文であれ、漢文の本をどう訓読するかは、師匠から弟子へ口伝えで教授し、暗誦していと考えられる。多読より精読が重んじられた時代はそれでもよかったが、書籍の量が増えると、記憶力だけでは限界に達し、漢文の書籍に訓読のしかたを記号で書き込んで示す「訓点」が登場した、としている。
最新の研究で、訓点の発明が、当時の朝鮮、加羅にあるのではないかという新説が浮上してきた。
しかし、訓点の発明者が新羅人だったにせよ日本人だったにせよ、訓点は日本でのみ生き残った。
そして改良を重ねられ、江戸から明治にかけて完成した。
過去の日本人が漢文に訓点を施して読んだことは、漢文が「外国語」である、という自覚を希薄にした。また、どんなに難解な漢籍でも、適切な訓点さえほどこせば必ず読める、という自信を与えたもした。
このように、日本人は訓読を効率良く行うために「訓点」を積極的に用いて、本来外国語である漢文を自国の古典として読めるようにした。
そのおかげで中国などの隣国との外交にも対応することができたし、隣国の文化や現状も把握することができた。
元寇が起こった際は、モンゴルの侵略を受けた高麗や南宋の惨状について日本に渡来した禅僧などを通じてよく知ることができたため、中国の侵略に対して十分な備えを固め、困難を乗り切ることができたらしい(もちろん台風の影響も大きかったと思うが)。