源信
源信の浄土教の根本教義
往生要集序文より
そもそも、 *極楽ごくらくに*往おう生じょうするための教行は、 濁りはてたこの末の世の目とも足ともなるものである。 僧も俗も、 身分の高いものも低いものも、 誰かこれに従わぬものがあろうか。 ^しかし、 *顕けん教ぎょうや*密みっ教きょうのみ法のりはその説くところがさまざまであり、 事じ (有相の行) や理り (無相の行) に依る業因は、 その行が多い。 それらは智慧がさとく、 努力を怠らぬ人は、 むずかしいと思わないであろうが、 私のような愚かなものは、 どうして進んで修行することができようか。 ^こういうわけであるから、 *念仏ねんぶつの一門に依って、 少しばかり経論の肝要な文を集めた。 これをひもといて、 念仏の行法を修めると、 覚り易く行じ易いことであろう{1}。
無常について涅槃経では「人の生命のはかなさは瞬時も留まることも知らぬから、放縦安逸に身を任せ、間違った生涯を送ってよかろうか」と述べる。
引用