林語堂
日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
林語堂
りんごどう / リンユイタン
(1895―1976)
中国の作家、言語学者。初め林和楽といい、のち玉堂、さらに語堂と改名。福建省竜渓出身。上海(シャンハイ)の聖ジョーンズ大学卒業後、アメリカ、ドイツに留学、ハーバード、ライプツィヒ大学で言語学を学び、哲学博士の学位を得た。1923年帰国後、北京(ペキン)大学英文科教授となり、一方魯迅(ろじん)らの『語絲(ごし)』に散文、論文多数を発表した。1926年厦門(アモイ)大学教授を経て、北伐期には武漢政府外交部で外交秘書を務めた。1930年代には『論語』『人間世』『宇宙風』などの雑誌を編集して「閑適とユーモア」の小品文を提唱、一方、蔡元培(さいげんばい)らの民権保障同盟に参加するなど、左翼とはある距離を置いたリベラル知識人の立場をとった。1936年アメリカに渡り、その前年アメリカで出版した『わが国土・わが国民』(1935)をはじめ、中国文明を欧米人に説明する一連の仕事をした。抗日戦中に発表した小説『北京好日(こうじつ)』(1939)、『嵐(あらし)の中の木の葉』(1941)も、抗日戦の意義を欧米に訴える性格が強い。思想的には北京、武漢時代にもっとも急進的だったが、のちしだいに保守的色彩を強めた。1976年3月26日香港(ホンコン)で死去。著作は多数に上るが、前記のほか、北京時代の詩文集『剪払集(せんふつしゅう)』(1928)、1930年代の評論集『大荒集』(1934)などがあり、また晩年には『当代漢英詞典』の編纂(へんさん)もしている。
[丸山 昇 2018年8月21日]
『佐藤亮一訳『北京好日』上下(1972・芙蓉書房)』
参照項目 | 語絲 | 蔡元培
語呂がいいから調べたら反日運動家だった
まさかリンクがつながるとは思わなかったからびっくり嬉しい(2025/01/22)イタロー.icon