東浩紀による梅原猛評
東浩紀は梅原猛を尊敬する哲学者の一人としており、彼について以下のようなツイートを残していたり、2012年にNHKの企画でインタビュー(『草木の生起する国』に収録)を試みたりしている。 @hazuma: しかし、梅原猛氏はすごいですね。大学や文壇に生息する哲学研究者があまりに小さく見える。。 朝日新聞の記事には以下のように書いてもいる。
梅原さんは、極東の日本にあって、世界的課題に真っ向から向き合おうとする戦前の京都学派の野望、夢を受け継ぐ最後の一人だった。「梅原日本学」の特徴は、死者の慰霊や鎮魂といった視点から日本の歴史や宗教を解釈しようとするもので、第2次世界大戦や東日本大震災の課題にも通じるアクチュアルな問題意識だった。今後の日本哲学は、梅原さんの思想をしっかり受け継ぐことでしか展開できないと思う。
哲学には流行も世代も関係ないと書いた。ただ、ここ半世紀ほどは様子がおかしくなっていた。実存主義、構造主義、ポストモダニズム、ポストコロニアリズムと流行が目まぐるしく変わり、百年千年単位で思索を深めることはむしろ忌避されるようになっていた。加えて日本では敗戦があった。戦前は、東西の伝統を融合し、新たな哲学を構築する大胆な挑戦が試みられていた。しかしその多くは、政治的な危うさを抱えていたため、戦後は抑圧され忘却されてしまった。むろん第二次大戦での京都学派の責任は軽視するべきではない。ただ、結果としてこの国で、他国にもまして浅薄で小さな哲学しか展開できなくなったのはたしかである。梅原氏は、そのような逆風のなか、京都学派の野望を引き継ぎ、守り続けた最後の哲学者だった。その死により、ひとつの時代が終わったと感じる。
(中略)
哲学者は自由でいい。大胆でいい。ぼくは梅原氏の著作からその勇気をもらった。二〇一二年の対談で、氏は、アリストテレスは動物でも昆虫でも性の話ばかり書いている、スケベだよねとニヤリと笑った。そんな冗談が、次の瞬間に日本神話の多神教的性格の考察へ変わり、デカルト批判につながる。哲学者とは、そういうアクロバットができる職業なのだ。梅原氏の死が哲学者の死を意味しないように、残されたわたしたちはあらためて勇気を振るい起こさねばならないように思う。