書き抜き
3.1
ひとは、自分の土地が他人に占拠されることを許さない。土地の境界線をめぐるいさかいが起これば、それがいかに些細なものであっても、石や武器を手にして争おうとする。それなのに、ひとは、自分の人生の中に他人が侵入してきても、気にもしない。いな、それどころか、いずれは自分の人生を乗っ取ってしまうようなやからを、みずから招き入れるようなまねさえするのである。
9.1
先見の明があると自惚れている人たちの意見くらい、信用できないものがあろうか。彼らは、よりよく生きられるようにと、多忙をきわめている。生を築こうとして、生を使い果たしてしまう。彼らは、遠い将来のことを考えて計画を立てる。ところが、先延ばしは、人生の最大の損失なのだ。先延ばしは、次から次に、日々を奪い去っていく。それは、未来を担保にして、今このときを奪い取るのだ。生きるうえでの最大の障害は期待である。期待は明日にすがりつき、今日を滅ぼすからだ。あなたは、運命の手の中にあるものを計画し、自分の手の中にあるものを取り逃がしてしまう。
あなたは、どこを見ているのか。あなたは、どこを目指しているのか。これからやってくることは、みな不確かではないか。今すぐ生きなさい。
14.1
すべての人間の中で、閑暇な人といえるのは、英知を手にするために時間を使う人だけだ。そのような人だけが、生きているといえる。というのも、そのような人は、自分の人生を上手に管理できるだけでなく、自分の時代に、すべての時代を付け加えることができるからだ。彼が生まれる以前に過ぎ去っていったあらゆる年月が、彼の年月に付け加えられるのである。われわれがひどい恩知らずでないというなら、こう考えるべきだ──人々に尊敬される諸学派を作り上げた高名な創設者たちは、われわれのために生まれてきてくれた。そして、われわれのために、生き方のお手本を用意してくれたのだと。
14.2
われわれには、ソクラテスと共に、議論することが許されている。カルネアデスと共に、懐疑することが許されている。エピクロスと共に、安らぐことが許されている。ストア派の哲人たちと共に、人間の性に打ち勝つことが許されている。キュニコス派の哲人たちと共に、人間の性から自由になることが許されている。
自然は、われわれに、すべての時代と交流することを許してくれる。ならば、われわれは、この短く儚い時間のうつろいから離れよう。そして、全霊をかたむけて、過去という時間に向き合うのだ。過去は無限で永遠であり、われわれよりも優れた人たちと過ごすことのできる時間なのだから。
4.111
哲学は、自然科学たちのうちのひとつではない。(「哲学」という言葉は、自然科学たちの上にあるものか、下のあるものかを意味しているにちがいない。自然科学たちと並んでいるものを意味しているはずがない)
4.1122
ダーウィンの理論は、哲学とは関係がない。ほかのどの自然科学の仮説も、哲学とは関係がないが。
4.113
哲学は、自然科学が異論を唱えることができる領域の、境界を決める。
『すばらしい新世界』大森望訳
ムスタファ・モンドは言葉を切り、本を置いて、もう一冊の本をとりあげ、ページをめくった。そして、「たとえばここ」と言って、深い声でまた朗読をはじめた。
「『人間は年をとる。すると、加齢にともなう感覚を体の根本から抱くようになる。弱さ、無力感、不快感。こうした感覚に襲われた人間は、自分は病気になっただけだと思い込み、この苦しみは特定の原因によるものだと考えて不安をなだめると同時に、病気が治るのと同じように、いずれこの苦しみからも恢復するだろうと期待する。なんとむなしい思い込みだろうか!その病気とは、すなわち老いに他ならない。たしかにおそろしい病気だ。死と死後に待つ運命とに対する恐怖から、人間は宗教にすがるようになると言われる。しかし、わたしの経験から言えば、そうした恐怖や思い込みとは関係なく、宗教的感情は加齢とともに大きくなる傾向がある。なぜなら、感情の起伏がなだらかになり、想像力や感受性が衰えるにつれて、理性の働きを妨げる要因が少なくなり、かつて理性を呑み込んでいた空想や欲望や娯楽に曇らされる度合いが減少するからだ。かくして、雲のうしろから太陽が顔を出すように、神があらわれる。すべての光の源。われわれの魂は、それを感じ、それを見、自然に必然的にそちらを向く。というのも、感覚の世界に生命と魅力を与えていたものすべてが少しずつこぼれ落ち、知覚しうる存在がもはや内外からの印象によって支えられなくなると、われわれは、なにかずっと残るもの、けっして欺かないものにすがりたいという欲求を抱く。すなわち、実在。すなわち、絶対的かつ永続的な真実。そう、かくして人は必然的に神に向かう。この宗教的感情は本質的に純粋なものであり、それを経験する魂にとってたいへん喜ばしいものなので、失うものすべてのかわりになる』」
ムスタファ・モンドは本を閉じ、椅子の背にもたれた。「これでわかっただろう。天と地のあいだにあって哲学者が考えつかなかった多くのことのひとつは」(片手を振って)「われわれだよ。現代のこの世界。神から独立していられるのは若くて元気なころだけ。独立独歩は人生の終わりまで人間をつつがなく導いてくれる生き方ではない。哲学者はもっともらしくそんなふうに述べたが、いまのわれわれは、若くて元気な時期を人生の終わりまで持続できる。その論理的帰結は明らかだ。われわれは、神から独立していられるんだよ。宗教的感情は、人間が加齢とともに失うものすべてのかわりになる、と哲学者は言った。しかし、そもそもわれわれは、なにひとつ失わない。だから、宗教的感情など余計だ。若いころの欲望がいつまでも衰えないのに、なぜそのかわりを求める必要がある?死ぬまで莫迦騒ぎが楽しめるのに、なぜ娯楽のかわりが要る?ソーマがあるというのに、なぜなぐさめが必要なのか?社会秩序が確立しているのに、なぜよりどころが必要なのか?」
王貞治.icon