映像文化とは?
参考:『映像と文化 知覚の問いに向かって』
「映像」は元々は「image」の訳語として採用された言葉と考えられているが、国語辞典を引くと次の三つに大別される。
①光線の反射や屈折によって映し出される事物の像
②印象や雰囲気などの心象、まとまりをもって心に浮かぶ像
③映画やテレビ、コンピュータなどの画面に映し出された画像
③はテレビというメディアが登場して以降、盛んに使用されるようになった用法で、テクノロジーとの結びつきを前面にはっきりと打ち出している。
「写真は映像ですか?」と訊くと「映像ではない」と答える学生が増えているが、①を見れば分かるように映像である。人類史上、はじめて出現した機械映像である写真はいまも映像文化の起点とされていることには変わりない。
この「映像」という広がりのある語が「文化」という語と結びついて「映像文化」と呼ばれるとき、どういった内容を意味するのだろうか。
「文化」は「自然」に対置され把握される語であるが、文化は人間の人工的営為、人間活動一般の人為的領域のものという意味。
そのため、例えば単に湖面をのぞき込んで何かの姿が映り込んだとしても、その像が水面に映る反射像という自然現象の次元にとどまるものであるならばそれは文化的産物とはみなされないため、映像文化ではない。
しかし、その湖面の像に何らかの意味づけを与えて価値を見出し鑑賞したり、描いたりする行為となれば、それは人間活動の行為となり、文化の領域に位置づけられる。
また、「映像文化」の「映像」とはもっぱらテクノロジーという人間活動が生み出した産物と結びついて生み落とされた画像を指すことが多く、具体的にそれは19世紀の写真術をもって誕生してくる映像群のことである。
そのため、例えばカラヴァッジョの《ルナキッソス》という絵画は文化の領域にはあるが、映像ではない。よって映像文化の産物ではない。
https://gyazo.com/bfbb354b720eda84eb2ec3cf537e0b7b
File:Narcissus-Caravaggio (1594-96) edited.jpg|Wikimedia Commons
まとめると、スチール・カメラや映画カメラ、テレビやインターネットといったテクノロジーと結びつき誕生してきた映像群、およびそれを巡る諸活動が「映像文化」と一般にいわれるものの意味内容である。また、その領域は固定的ではない。